牧師 新澤幸子師
マタイの福音書6:25-34
Ⅰ 心配しない=神への信頼
マタイ6:19-34で、主イエスは、天に宝を蓄えるべきこと、また思い煩ってはならないことを教えられました。
25-32節までに、主イエスは何を食べようか、何を飲もうかと、食物のことで心配しないように、また、何を着ようかと、衣服のことで心配しないように教えられました。食物、衣服は生きるという地上のいのちを支えるものです。それは人生では大切なことです。イエス様は、心配してはいけませんと、神への信頼を教えられました。神様は空の鳥を養ってくださいます。また野の花を美しく装ってくださいます。そうでありますなら、神のかたちに創造されている人間は、もっとすぐれたものです。神に信頼し、神に委ねて生きる時、空の鳥を養い、野の花を美しく咲かせてくださる神は必要を満たして下さいます。私達は理性が与えられているのであれこれ考えます。しかし神はすべてを知っています。神に信頼し生きることが大切です。
Ⅱ 第一に求むべきもの=神の国とその義
神は私達の生きることにも、心を配ってくださり、必要を与え、人生を支えてくださいます。
しかし本当に人生で求めなければならないのは、神の国とその義、とおっしゃいました。
求めなさいという言葉は、7:7にも出てきます。調べてみましたら、日本語では同じなのですが、ギリシャ語では違う言葉を使っています。この違いは、イエス様が6:33をどういう意味で求めなさいとおっしゃったのかを知る手かがりとなると思います。7:7の求めなさいという言葉は求めること、願うことを意味しています。ところが6:33にある「求めなさい」は、さがす、探求する、希求する、おいもとめる、と言う意味の言葉です。また第一に、という言葉は、「何よりもまず」という意味の言葉です。何よりもまず、神の国とその義を探求しなさい、追い求めなさい、とイエス様は教えられました。
神の国とは何でしょうか。「国」という語は、ギリシャ語でバセレイアです。これは支配を意味します。神が、支配している所、そこが神の国です。
イエス様は「人は、新しく生まれなければかみのくにをみることはできません。」(ヨハネ3:3)と言われました。神の国を求めるとは、神の国に入り、神に求めなければならない事を求めることです。
私達はイエス・キリストを信じる信仰によって永遠の命が与えられました。塵はもとあった土に帰ります。しかし霊は神のもとに帰っていきます。私たちの永遠の故郷、天のふるさとが神の国です。神の国はやがて私たちが住む御国ですが、イエス様は神の国はあなた方の只中にあるといわれました。
将来のことではなく、今のこととして、神の国が語られています。それは神に心を明け渡し、神が王となって私達の心を治めて下さる、これが神の国です。
私達の心の中には王座があります。信じる以前は自分が王座に着いていました。しかしイエス・キリストを信じる信仰によって救われ、神の子になりました。いまは神に明渡し、心の王座に座っていただきました。神が私の王です。言葉と行動の中心は神です。神の喜ばれることを求めて、神のみ心を行う。神の栄光のために生きる。その心に神の国はあるのです。そしてその心の中に、神の国にある喜び、平安、希望の輝きがあります。
あなたの心を治めているのは誰ですか。自分が心の王となっている限り、御国はありません。願望、生活、友人関係、趣味、娯楽、職業の中心に神を置き、神に喜ばれ、神の栄光を現す為に全ての事をしていく時、そこに神の国があります。私達は地上の喧騒・争い・罪のある社会に住んでいます。
しかしイエス様が私達の心の王となってくださるならば、心の中に天的な喜び・平安・希望をもって生きる事ができます。やがて地上の使命が終わる時、さらに素晴らしい神の国へと帰って行きます。そこで神と共に永遠に生きる事ができるのです。
神の義とは何でしょうか。それは神との正しい関係です。神が貴方を喜んでいらっしゃる、神と共に平安に中に生きる事ができる根拠が神の義です。
神の義はまず、十字架にかかり、甦られたイエス・キリストを信じる信仰によって与えられます。
神の前にすべての人が罪人です。どんなに善行を積み、難行苦行しても、それによって、神に義とされ、受け入れられる事はできません。神の前にはすべての人が罪人です。神は全ての人々の罪を赦すために御子イエス・キリストを十字架にかけました。イエス様が、十字架の上で罪の代価をはらって下さいました。だれでも、罪を悔い改め、主イエスを信じるなら、罪が赦され、神から義と認められます。
さらに、神の国は神の支配を意味しています。神の義を求めるとは、神に喜ばれる生活を追求し、愛に生きる事です。神の義を追求することは義務ではありません。私を愛し、私を救って下さった神を愛する愛から生まれます。
義なる人の歩みについて、ミカ書には、「人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」(6:8)と記されています。神が求めておられる事を求めて生きる、ここに義なる人の歩みがあります。救われて、神に義と認められたのですから、生涯、神を求め、神の御心の中に生きる事を追い求めて生きていきましょう。
Ⅲ これらのものは与えられる=主の約束
主イエスは「そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」と言われました。神の国とその義をまず第一に追い求めて生きるならば衣・食・住・その他の必要は全て与えられます、と主は約束されました。
与えられるという言葉は、増し加える、増やす、たくさん与える、付け加える、という意味の言葉です。神が空の鳥、野のユリを良くして下さるのなら、まして私達人間には、どんなに良くして下さる事でしょうか。神を中心として生きる時、私達は神の国とその義を受け、さらにこの地上の良きものが与えられ、神より祝福を受けるのです。神に信頼し、神を第一として生きて行きましょう。
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