牧師 新澤昭彦師
ヨハネの黙示録21:1-7
Ⅰ 新しい天と新しい地
イエス様を信じた私達は永遠のいのちを持っています。永遠の命は霊的な命です。霊的な命がありますから、礼拝を守り、お祈りをし、聖書を読み神様と交わっています。そして神様との交わりは私達の心を恵みで潤します。
人は、いつかは死を迎えます。しかし私達は死んでも、永遠の命を持っていますから、たとえ死んでも霊は天国に帰っていきます。
永遠の命を持っている人にとって、死は最後の別れではなく、眠りです。眠りという事は目覚める朝があるという事です。イエス様が空中再臨される時、主にあって眠っている人は、墓から復活します。
やがて、新しい天と新しい地、聖なる都、新しいエルサレムが天から降ってきます。そこは神の子たちの永遠の住まい、神の国です。ロマ8:17 には「子どもであるなら、相続人でもあります。私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。」と記されています。私達は救われて、神の子です。子として神の国を相続する者となりました。
「新しい天と新しい地」の「新しい」という言葉はギリシャ語では、カイロスです。ギリシャ語では、新しいという言葉は、ネオスとカイロスがあります。「ネオス」は最近存在した何かに使われます。それは新鮮な、とか若いという意味があります。初めのうちは新しいのですが、何年か経つと新しいものではなくなります。それに対してカイロスは、本質的な新しさです。年数が過ぎても変わりがないことを強調する新しさに使われます。
天と地が新しくなる前に、黙示録20:11では、「地も天もその御前から溶け去って、あとかたもなくなった。」と記されています。第二ペテロ3:10-12に、「天の万象は消えて過ぎ去り、地と海のいろいろな業は焼き尽くされます。」また「天はもえ崩れ、天の万象は溶けてしまいます。」と記されています。
宇宙は広大で、人の手も、又知識も帯びません。宇宙は普遍に見えます。
しかしその宇宙にある星々、諸現象はもえ崩れ、焼けてとけます。物質的な世界は崩れます。
今の宇宙はなくなり、そして新しい天と新しい地が天から降ります。新しい天と地は、私達が考えている、宇宙ではなく、次元を超えた世界です。この宇宙は不変でも、永遠でもありません。いつかは崩れます。私達の理解を越えていますが、消えてなくなります。そして、新しい神の都が夫のために飾られた花嫁のように整えられて、天から降ってきます。神の国の美しさを表現するために、飾られた花嫁が用いられていますが、他に比較にならない美しさを意味しています。今私達が常識的に知って天と地、宇宙とは全く次元のちがう言葉に尽くせない素晴らしい世界になります。
Ⅱ そこには神の慰めがあります。
1節に「もはや海もない。」とは、当時、海は危険で、恐るべきものと考えられていました。そこには、死とか、災いがありました。新しい天、新しい地には、そのような災いがありません。この時代は、サタンも、反キリストも、偽預言者も地獄に落とされ、最早、永遠にそこから出ることが出来ません。ですから人を不幸にする罪も災いも新しい天と地にはありません。
今の時代は、罪があります。サタンの隠れている働きがあります。地上に生きている時に、死、悲しみ、叫び声、苦しみがあります。私達は、世から救われました。しかし世の中に生きています。空中の権を持つ支配者として、サタンが働いている今の社会では、死、悲しみ、叫び声、苦しみがあります。しかし新しい天、新しい地においては、サタンも、反キリストも、偽預言者も、ゲヘナの燃える日の中に閉じ込められていますから、私達を苦しめるもの、のろわれているものは一切ありません。
それだけでなく、神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる、と書いてあります。それは神の慰めです。
今までにどんなに悲しく、苦しい中を忍んで生きてきた事でしょう。人には理解されない苦しみの中をたくさん通ってこられた事でしょう。しかし苦しみの中で、神に信頼し、堅く信仰に立ち続けてきました。7節に、「勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。」と記されています。地上では、苦しみ、悲しみの中を通っていたかもしれません。しかし御国を相続し、神御自身が、わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。と言われます。神の国では、イエス様が私達を迎えて下さり、私はあなたを知っているとおしゃり、慰めを与えて下さるのです。
Ⅲ 救いの完成
新しい天と新しい地が来ます。そこに神の国が実現します。クリステャンには、嗣業として、その御国を受け継ぎ、そこに入る事が約束されています。御国を受け継ぐ事は、救いの完成です。
信仰生活は、救われ、神に受け入れられ、神と共に歩む人生がこの時から始まります。救われたという事は、大きな喜びです。しかし救われる事と救いを全うする事は同じではありません。救われて、救われて永遠の命をいただいても、神の国に入る前に、信仰から外れて、永遠の命を失い、神の国に入る事が出来ないという事があります。
神の国に入る事は、救いの完成です。私達の環境は、信仰的な敬虔な社会ではなく、世です。そこには不信仰がありますし、信仰の反対に会うこともあります。サタンの働きがありますから、病も、悲しみも、苦しみもあります。また悪への誘惑もあります。その中でイエス・キリストを信じる信仰の告白を捨てない、どんな時にも神に信頼し、そして主を愛して主の御足の跡に従っていく。そうして信仰の勝利者になる事が出来ます。
主が私達のために十字架にかかって下さり、罪から贖い永遠の命を与えて下さいました。救われた私達には、神の国が嗣業として約束されています。その約束は勝利を得るものに約束されています。キリストによって、私達の理解を越えた素晴らしい約束を受けているのですから、いつも主イエスに信頼し、主を愛し、主に従い御足の跡を歩んでいきましょう。
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