聖書箇所 使徒の働き1:3-8
5月31はペンテコステです。
ペンテコステの日は、ペンテコステはギリシャ語の50を表す言葉ですが、
イエス様が復活してから50日目が
ペンテコステにあたります。
神は人を神のかたちに創造し、人を祝福しようという計画をお持ちでした。
けれども人は罪を犯し、心が神から離れ、神が与えようとしていた霊的祝福を失いました。神は神から離れている人を救い、祝福を回復しようという計画をお持ちでした。
その計画は救い主として、神の御子イエス様を遣わし、イエス様によって、罪の贖いをする事によって成就します。
イエス・キリストは十字架にかかって死なれ、十字架の上で「完了した」と叫ばれました。人類を罪から解放する贖いは完成しました。人は主イエスを信じる事により救われ、罪の赦しが与えられ、神との和解し、永遠の命が与えられます。しかしキリストが十字架という犠牲を払っても、それを伝えなければ、神の計画は途絶え、主の死は無意味になってしまいます。
主は福音宣教を弟子達に託しました。弟子達が福音を伝えるために、聖霊に満たされる事が必要でした。イエス様は弟子達に、「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と語られ、弟子達に、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」と約束されました。
弟子達は聖霊を求め、エルサレムの二階座敷に集まり、心を合わせ、聖霊を求めて、祈りに専念しました。主が復活してから50日目、弟子達か集まっていた所に、激しい風のごとき響きがあり、炎のような別れた舌が現れて、弟子達の上に留まりました。こうして弟子達は聖霊に満たされました弟子達は御霊に満たされ、福音を伝えました。そして、福音は燎原の火のように広がりました。聖霊は教会の中に働き続け、今も働き、くすしい業を行っています。
一、聖霊は人々の誤りを認めさせます
イエス様は「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。」(ヨハネ16:8)と言われました。
「罪についてというのは」(16:9)。世は神から離れている、不信仰な社会です。そこには闇があります。聖霊は心に光を与え、人々に誤りを気付かせます。主は、「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」と言われました。イエス様は人々の罪を赦すために、十字架にかかって下さいました。イエス様は十字架によって、人類の罪の贖いを完成して下さいました。しかし神様が主イエスによって提供している救いを受け入れないなら罪は残ります。罪について世の誤りとは、彼らがイエス様を信じないからです。
「義についてとは」(16:10)、何が正しいか、正しくないのかを決めるのは、人間でなく、神です。そして神に正しいと認められる事が神の義です。
この義について、イエス様は「私が父の元に行き、あなた方がもはや私を見なくなるからです。」と言われました。これはイエス様が十字架にかかり、復活する事、そして昇天する事を意味しています。神から義と認められるのは、人の行いではなく、十字架にかかり甦られたイエス・キリストを信じる信仰によります。
神に義と認められるのは、正しい、と自分で認める事でなく、砕かれた心をもって、罪を認め、悔改め、イエス・キリストを救い主として、心の中に迎え入れることにより救われ、神から義と認められるのです。
「さばきについて」(16:11)とは、「この世を支配する者がさばかれたからです」。
この世を支配する者はサタンです。サタンは人々が神を信じないように、罪を犯すように働きかけま
す。しかしサタンはさばかれました。
イエス様は十字架にかかり、命を犠牲にしました。サタンは勝利したかに見えます。しかしサタンが勝利したのでなく、イエス様は贖いを成就しました。キリストの十字架の死によって、主は救いの道を備えられました。十字架の上で罪とサタンに打ち勝ち、決定的な打撃を与えました。
二、聖霊は真理に導きます。
「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。」(ヨハネ16:13)
ギリシャ語聖書では「真理」について単数形が使われています。沢山ある真理でなく、唯一の真理です。人生を生かす、これなしには幸いな人生を生きる事が出来ない唯一の真理が、イエス様が言われた真理です。ですから、真理とは、神を知る道、祝福に進む道、永遠の御国への道を教える真理です。弟子達は真理をさとる事が出来ませんでした。しかし聖霊が弟子達の上に降り、教師となって、弟子達を教え真理に導いて下さいました。
イエス様は神の国を語っていても、もし聖霊の助けがなかったなら、弟子達は真理を悟る事が出来なかったでしょう。そして福音を伝える事が出来なかったでしょう。しかし聖霊は弟子達をすべての真理に導いて下さいました。そこで真理を伝え、人々を導く事が出来たのです。
今も聖霊は働いています。聖霊は教師として、私達を真理に導き、教え、信仰生活を導いていらっしゃいます。
私達が十字架の意味を理解し、主イエスを信じ救われたのは聖霊の働きによります。今日まで信仰生活が保たれ、御言葉から、真理に導かれて歩むことが出来たのは聖霊によります。
目に見る事は出来ませんが、聖霊は人々に光を与え、私達を真理の道に、神を知る道、祝福に進む道、永遠の御国への道と導いて下さるのです。
聖霊によって真理に導かれ、豊かなクリスチャン生活を送る事が出来ます。聖霊によって、信仰と希望と愛に満ちて生き、成長するクリスチャン生活を送ることが出来ます。私達の信仰生活に、また教会の働きの上に、聖霊の満たしがありますようにお祈りしましょう。
牧師 新澤昭彦師
0コメント