説教者 新澤昭彦師
聖書箇所 ヨハネの黙示録6:1-17
Ⅰ 封印が解かれ起こる出来事
小羊が、封印を解くのをヨハネは見ました。6章で起きている出来事は、恐ろしい審判です。6章の出来事は患難時代に起こる事と考えられます。 子羊が七つの封印の一つが解きました(1-2)。
ヨハネは白い馬と、それに乗っている者を見ました。記い馬の乗っている者は弓を持っていました。冠が与えられていました。勝利の上にさらに勝利を得るために出て行きました。
白い馬に乗る者は反キリストで、サタンに操られ、野望を持ち、勝利の上に、勝利、あくなき支配を求めて、世界を制覇していく者と思います。 今は自由な時代で、個人の人権が尊重されます。
しかし終末には、反キリストが支配し、すべての人の情報が知られ、コントロールをされ、反キリストの意のままに支配されていくでしょう。
反キリストはキリスト者を見つけ出して、迫害するでしょう。
反キリストは、白い馬に乗っています。美しく、優しい、表面は良い人、正しいことをしているように見えます。しかしそうではなく、勝利の上にさらに勝利を得るために、白い馬に乗り、美しく、立派に見せているのです。彼は世界制覇をもくろみ、富と権力を増し加えてます。勝利の上にさらに勝利を得るために様々な手を打ち、世界を彼の支配のもとに起きます。
第二の封印が解かれたとき、赤い馬が出て来ました。それに乗っている者は、地から平和を奪い取り、人々が互いに殺し合うようにさせます。これは世界に起こる戦争です。
人類の歴史は、戦争の歴史でした。戦争は歴史の中で、拡大し、凶暴なものとなっています。
民族の対立から、国と国の戦争へ、そして、第一次、第二次世界大戦では、世界を巻き込む大戦争になりました。昔の戦争は、兵士と兵士が戦う戦争でした。しかし第二次世界大戦では、民間の人々に多くの犠牲者が出ました。患難時代の戦争は、過去の戦争と比較出来ないほどの力もった兵器を用い、恐ろしいことが起こるでしょう。
子羊が第三の封印を解いたとき、黒い馬がいました。これに乗っている者は秤を手に持っていました。そして「小麦一コイニクスが一デナリ。大麦三コイニクスが一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」という声を聞きました。一デナリは大人が一日働いて得る賃金です。コイニクスは、容量の単位で、一コイニクスは約1?です。麦一コイニクスも、大麦三コイニクスも平均男性の一日の食料です。人が一日働いても、自分を養うだけしか食物が買えません。飢饉がおこり、様々な情報が飛び交い、人々はスーパー等に殺到します。しかし手に入らないという事が、起こるのでしょう。
子羊が第四の封印を解いた時、青ざめた馬を見ました。これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていました。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられていました。今までにも、恐ろしい疫病が蔓延して、多くの犠牲者が出ました。
けれども今までには比較にならない疫病が世界に蔓延します。戦争・飢饉・疫病で多くの人が死にます。その犠牲者の数は、世界の人口の4分の一です。
子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こりました。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになりました。そして天の星が地上に落ちました。
9年前、恐ろしい地震の被害を私達は見ました。隕石が落下するということは、今までにも起きています。けれども、「いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすよう」に星が、地球に落下するという事が起こります。
地震で大地が揺れ動き、山々が崩れ、島は飲み込まれてなくなります。
世界に壊滅的な崩壊が起こり、逃げ場がありません。
貧富、立場の違いを超え、人々は逃げまどい、洞穴と山の岩間に身を隠します。
誰もその恐怖に耐える事が出来ません。終末には、乗り越えることが出来ない苦しみがあります。
Ⅱ 義なる神のさばき
なぜそのようなことが起こるのでしょうか、一言で言うならば、それは人間の罪のためです。
神は愛の神ですが、同時に義なるお方です。神は侮られる方ではありません。
人は蒔いたものを刈り取らなければなりません。
不信仰、罪、汚れにとどまるなら、神のさばきに会います。そのさばきを免れることはできません。 5:1-5に、七つの封印が記されています。巻き物には、表も裏もびっしり文字が書いてありました。その文字はさばきの宣告の文字です。しかし巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれ一人いませんでした。しかし「ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。」それはイエス・キリストです。
イエス様は、罪人を赦すために十字架にかかり、贖いを成し遂げましたが、またさばきの権限をお持ちの方です。イエス様は罪人を救うために十字架にかかって下さいました。
誰でも主イエスを信じるならば救われます。
しかし主を信じようとしない、罪の中にとどまり続けるなら、主はさばきを宣告なさいます。
どうしてさばかれるのですか。それは神の責任ではではありません。
罪を犯し、不信仰で、頑なに罪にとどまり続けたので、さばきが及んだのです。
Ⅲ 神の慈しみ
何故、キリストを信じなかったのですか。何故不信仰と罪にとどまったのですか。
恐ろしい事が起こり、山々や岩に向かって叫んでも遅いのです。
やがて、患難時代はきます。しかし今は患難時代でなく恵みの時です。
「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第二コリント6:2)。
「神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。」(ローマ2:4) 神は義なる方です。罪は裁かれます。
しかし主の十字架の贖いによって、赦して下さいます。
人は砕かれ心をもって神の前に出る事をしません。
しかし神は忍耐と寛容をもって待っています。今は恵みの時ですから、どんなに罪が深くても、キリストを信じるなら、赦して下さり、神の子として迎えて下さいます。恵みの時にキリストを信じましょう。また、私達の周囲には、キリストを知らない多人がいます。恵みの時に主の恵みを伝えましょう。
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