説教者 新澤昭彦師
聖書箇所 マタイの福音書28:18~20
イエス様は十字架の上で息を引き取られ、三日目の日曜の朝、復活しました。復活したイエス様は11回ほど、弟子達に現れています。
マタイ28:20に記事は、ガリラヤの山で、弟子達に現れた時に語られた御言葉です。復活されたキリストは、天に帰る前、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」と約束されました。
復活したイエス様は弟子達に約束されたように、私達に、[わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。]と約束しています。
Ⅰ 保護(神の守り)
主は復活をされ、今も生きています。そして信じる私達と共に歩んで下さいます。
そこには神の守りがあります。
ヨハネ10:14で、イエス様は「私は良い牧者です」で言われ、続いて「わたしは羊のために命を捨てます。」(15)と言われました。羊は弱く、戦う力がありません。しかも羊の肉は食用になりますから、ライオンや狼の餌食になりやすいです。そのような危険から、牧者は命をかけて羊を守ります。
良い牧者であるイエス様は、私達を救うために十字架にかかり、命を捨てられました。
イエス様は死なれましたが、三日目に復活されました。
イエス様を信じる人々といつも共にいて、守って下さいます。
イエス様は弟子達を、福音宣教に遣わされました。弟子達は激しい迫害の中で、福音宣教をしなければなりません。けれども主は「いつもあなたがたとともにいます。」と約束されました。
主は共にいて、守り、主は共に働かれ、多くの人が救われ、迫害の中で、キリストを信じる人々の数は増大しました。
人生にはどんな危険が待ち受けているか分かりません。病気や事故、災害、そして事件に巻き込まれて犠牲になる人々もいます。肉体的・経済的な危険だけではなく、信仰の戦いもあります。イエス様はよみがえられました。そしてイエス様を信じる私達にも「いつもあなた方と共にいます。」と約束して下さいました。イエス様はあらゆる危険から私たちを守って下さいます。
イエス様が共にいるという事は、危険に会う事も、試練に会う事もないという事を意味していません。試練がない人生はないでしょう。試練の中を行く時、どんなにつらく、苦しい事でしょう。
けれども主が共にいて下さいますから、試練も恐れずに生きる事が出来ます。
試練に中で主と共に歩んだ経験は後の人生で益となり、豊かな信仰、より実を結ぶ器になります。
Ⅱ 導き
イスラエル人がエジプトに寄留していた時、奴隷となって、苦役を強いられていました。
彼らが苦しみの中から叫び、その祈りは神様に聞かれました。
エジプトから救い出され、彼らは約束の国に向かって、荒野を40年旅しました。
その間、昼は雲の柱、夜は火の柱に導びかれて、進みました。雲の柱、火の柱は神の臨在を現わしています。神が共にいて、彼らを導かれました。彼らは神の臨在に導かれて約束の国を目指して、旅をしました。 人は自分の考えや計画に基づいて、良いと思われる道を進みます。しかし危険な道に進んだり、行き詰まる事があります。イエス様は永遠から永遠まで全てを知っている神様です。主は臨在をもって最善の導いて下さいます。 人の人生は自分でも分からない事があります。しかし、神様の導きに従った人生がベストです。私達の人生を導いて下さるお方は共にいて下さるイエス様です。そしてイエス様の導きに従う人生こそ幸いな人生なのです。
ヨハネ10:4に、「羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。」と記されています。これは復活をされたイエス様が私達を導いて下さる絵ではないでしょうか。羊飼いが羊を導くのは、よい牧草地のある所に連れて行き、羊を養うためですが、イエス様は私達を養い、祝福しようとして導いて下さいます。復活したイエス様は私達と共にいて下さり、私達を幸いな人生に導いて下さいます。
Ⅲ 交わり
イエス様は「私の羊を知り」そして私達が「私の羊はまた私を知っている」(ヨハネ10:14)と記されています。「知り」とは、単に知識としているのでなく、交わりによって、知るという事です。
主イエスは復活されました。主が信じる者と共にいる時に、そこには主との交わりがあります。
交わりは「関係」です。実存主義哲学者のキルケゴールは、神との関係が人を生かし、神との断絶が死です。その神との関係を断絶させるのは、罪です、と言いました。そして罪によって、断絶された神との関係を回復するのは、キリストの十字架の贖いです。私達を生かすのは、パンでなく、豊かな生活ではなく、神との関係です。神に知られ、神を知る事が人を生かします。交わりとは関係を保ち、深める事です。そのようなイエス様との交わりが私達の魂を生かします。
「私は私のものを知っている」という事は、愛によって私達を知っていて下さるという事です。不信仰の世界の中に、主イエスを信じて主と共に歩む神の子をイエス様は探し、そして神の御心に生きるクリスチャンにイエス様の目は注がれています。神の子達の喜びはイエス様の喜びですし、神の子達の苦しみはイエス様の苦しみです。イエス様は苦しみ・悲しみを共に負って下さり、そこから助けて下さる救い主です。
イエス様は十字架の苦しみによって私達を救って下さいました。そして「あなたは私のもの」とおっしゃって下さいます。私達は交わりによって、イエス様を知っています。主との交わりによって、私達の魂を生かされ、潤されています。イエス様は復活され、「見よ。私は世の終わりまでいつもあなた方と共にいます。」と約束されました。主イエスとの交わりが私達の霊魂を日々生かし、希望に満ちて神の国を目指して生きる事が出来るのです。
イエス様の復活は喜びです。十字架にかかり、復活されたイエス様を信じ、イエス様と共に、歩ませていただきましょう。
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