説教者 新澤昭彦師
聖書箇所 ヨハネの黙示録2:18-29
黙示録2:18-29にはティアティラにある教会への手紙が記されています。
Ⅰ 賞賛
19節 ティアティラの教会には、愛と信仰と奉仕を見る事が出来ました。
彼等に愛と、奉仕を生み出したのはキリストに対する信仰によってです。
"キリストは人類を贖うために十字架にかかって下さいました。それから三日目に復活されました。
キリストの十字架の犠牲はあなたのためです。悔い改めて、イエス・キリストを信じるなら、救われます。”と、ティアティラの人々は福音を聞きました。
彼等は罪を悔い改めて、主イエスを信じました。こうして救われました。
救いは、新生とも言われます。肉体の誕生ではなく、霊的な誕生です。
新生して霊魂のうちに、神の性質を持つ新しい命を持ちました。
新しく生まれ、心の中に神の愛を持っています。心の中にあたえられた愛は、神と人への愛の行いとして表れます。そして、愛は神と人に喜んで使える奉仕となります。その姿が、ティアティラの教会に見る事が出来ました。
パウロが第二回伝道旅行の時、ピリピに行きました。
そこでティアティラの紫布の商人ルデアが福音を聞き、彼女の家族はバプテスマを受けました。
黙示録が記されたのは、それから40年以上後です。
ティアティラ教会の信徒は、試練、迫害、生活苦を乗り越えて信仰生活を送っていました。
その中で、変わらないで、愛と信仰と奉仕を継続できたのは、忍耐があったからです。
キリストは「わたしは、あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。」と言われました。これがティアティラ教会への賞賛です。
Ⅱ 叱責 20-23節
20節に「イゼベルをなすがままにさせている。」と譴責されています。
旧約聖書に、3代悪女と言われる、悪い女性が登場します。その3人の中の一人がイゼベルです。
イゼベルのような女性がティアティラ教会にいました。
イゼベルは、イスラエルの王アハブの妻です。彼女は、シドン人の王の娘でした。
彼女は自分の国の偶像をイスラエルに持ち込み、バアルとアシュラの預言者を養いました。
国民はバアルを拝み、真の神から心が離れていました。
バアルと、神の人エリヤがカルメル山で、バアルとアシュラの預言者と対立した時、天から火が下り、エリヤの仕える神が真の神である事を証明されました。
そして、バアルとアシュラの預言者は処刑されました。
イゼベルは怒り、エリヤを剣で殺そうとしました。
その後、宮殿のそばにナボデの所有する葡萄畑がありました。
その葡萄畑は美しく、豊かな実を結ぶ、葡萄畑でした。アハブ王はその葡萄畑がほしくなり、ぶどう畑の売却を求めました。しかしナボデは、王の要求を断りました。
王妃イゼベルはナボテの葡萄畑を手に入れるために虚偽の裁判を起こし、ナバルを石打の刑で殺し、ナバルの葡萄畑をアハブ王のものとしました。
信仰に立って、愛し合い、試練があっても信仰と愛を失わなかったティアティラの教会に、イゼベルのような女性が、自分は預言者だと言って、入りこみ、信徒を惑わしていました。
おそらく、ペルガモンの教会から、バアルの教え、ニコラオの教えを奉じる者が来て、その中心にイゼベルのような女性がいたのでしょう。
彼女は、預言者だと自称していました。信仰と愛に生きているクリスチャン達に異端の宗教を教えて惑わし、偶像礼拝を持ち込み、そして偶像に献げた物を食べさせていました。神は彼等に、悔い改める機会を与えましたが、この女は淫らな行いを悔い改めようとしませんでした。
教会はキリストを信じて、贖われた人々の集まりです。
けれども教会の中に異端が忍び込み、正しく生きようとする人を惑わし、真理から話させようとする人が忍び込んでくる事があります。また教会が大きくなり、権力を持つようになると、教会が世俗化し、正しい信仰からそれる事があります。
このように教会を惑わす者について、キリストはさばきを宣告しています。
しかし、その中に、真実な信仰者がいました。
24節に「しかし、ティアティラにいる残りの者たち、この教えを受け入れず、いわゆる「サタンの深み」を知らないあなたがたに言う」とありますように、教会が腐敗していく中で、忠実な信仰生活、神と人への愛を表して歩むクリスチャン達がいました。
Ⅲ 奨励と約束 25-29節
キリストは教会に「ただ、あなたがたが持っているものを、わたしが行くまで、しっかり保ちなさい。」と勧めています。
「あなた方が持っているもの」とは、19節に記されている「あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐」です。
「私が行くまで」とは、キリストの再臨です。主はまもなく再臨されます。
教会は内から外から攻撃されるかもしれません。
私達が持っている信仰と愛は、何にも比べる事が出来ない宝です。
主の再臨の時、クリスチャンは天に携え上げられます。
持っているものをしっかり保っていきましょう。
勝利を得る者とは、誤った教え、偶像礼拝、不品行、世俗化に反対し、純粋な信仰に堅く立ち、キリストに従う人です。その人には、「諸国の民を支配する権威を与える。」と約束されています。
27-28節に「彼は鉄の杖で彼らを牧する。土の器を砕くように。
わたしも父から支配する権威を受けたが、それと同じである。
また、勝利を得る者には、わたしは明けの明星を与える。」と約束されています。
明けの明星とはキリストです。
18節に、キリストは「燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝く真鍮のような神の子」と記されています。燃える炎のような目は正義をもってさばく目で、真鍮の足は、真理に敵対する者たちを踏みにじり、正義をもって治める権力を持っている事を意味しています。
勝利を得る者には、キリストと共に納める事が約束されています。
主イエスは父なる神様から天にあるものも、地にあるものもすべてのものを支配する権威が与えられています。
「愛と信仰と奉仕と忍耐」に生き続けて行くならば、キリストが再臨され、新しい世界になりますが、その時に、キリスト共に治める者となります。
異端、また世俗化に惑わされないで、正しい信仰に立っていきましょう。
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