説教者 新澤昭彦師
聖書箇所 ヨハネの黙示録1:4-8
Ⅰ 黙示録の受信者
ヨハネの黙示録の発信者は使徒ヨハネでした。
受信者は7つの教会とありますが、7は完全数ですので、すべての教会へという意味です。
黙示録は、地域を越え、さらに時代を越えて、すべての教会に送られている黙示です。
7つの教会のために、「恵みと平安があなたがたにあるように。」(5)と祝祷がささげられています。4節に「今おられ、昔おられ、やがて来られる方から、」これは父なる神様からです。
父なる神は永遠に存在され、神は変わる事がありません。
神は今も生きていてあなたを愛し、守られる方です。
「御座の前におられる七つの御霊から、」ここに記されている7も完全数です。
ここでは聖霊なる神様を指しています。聖霊は完全なお方です。
5節に「確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、」とあります。イエス・キリストは神ですが、人として降誕され、そして十字架にかかられました。キリストは十字架の上で死なれましたが、死者の中から最初に復活された方です。
ヨハネは教会のために祝祷をささげました。
祝祷をささげたのはヨハネですが、恵みと平安を与えて下さる方は、父なる神、聖霊、イエス・キリストです。ヨハネの黙示録が書かれた時代はローマの皇帝ドミティアヌス帝が治めていた時代で激しい迫害の時代でした。迫害は大変な恐怖と苦悩を与えます。
けれどもヨハネは、神に背く人々の審判と、そしてキリスト者の輝かしい希望を伝えました。
あの時代に、恵みと平安を与えて下さるお方は、父と御子と聖霊なる神様です。
最近は新型コロナウィルスの感染に不安を感じています。その不安がいつか恐怖になるかもしれません。近い将来、太平洋沿岸沖で、大地震がおこることも報道されています。将来に苦難が起こるかもしれません。しかし父と子と御霊の神から与えられる恵みと平安の約束が与えられています。
神から与えられる恵みと平安は、私達の心を支えとなります。
Ⅱ キリストの再臨
「見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ」(7節)
「その方は雲とともに来られる。」とは主イエスの空中再臨を言っています。
主は、再臨について「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。
・・・人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです」(マタイ24:30-31)。と語られました。主は復活し、昇天しました。
今、神の右の座で、私達のためにとりなしの祈りをささげています。けれども空中まで来ます。
その時はしるしが天に現れます。大空に神の臨在の栄光を現す雲が湧き出ます。
そして天の雲のうちに主イエスは偉大な力と栄光と共に来ます。
7節の「見よ、その方は雲とともに来られる。」というのはその時の事です。
「ともに」とう前置詞は「メタ」です。「メタ」は「~の後」でという前置詞です。
ですから雲の後でという事になります。大空に栄光に輝く雲が湧いて広がり、その栄光の中に主イエスは再臨されるのではないかと思います。
「彼を突き刺した者たちが主イエスを見ます」(7節)。これはユダヤ人です。
彼らの先祖はアブラハムでした。
神が多くの民の中から選び、あなたを祝福すると約束された人です。
彼等は神から律法が与えられ、神の宝の民となると約束されました。
しかし彼らの歴史は不信仰と背信、罪の歴史です。そのために彼らは繰り返し滅びを経験しました。
苦しんでいる民に神は救い主を遣わすと預言者を通して約束されました。
そして神の独り子を救い主として遣わされました。しかし彼らは主イエスを受け入れませんでした。
そればかりか十字架につけてしまいました。今でも、彼らは頑なに主イエスを拒み続けています。
ゼカリヤは「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。」(12:10)と預言しました。
ユダヤ人は主イエスを十字架につけました。
主イエスは彼らを救うために来たのに主を突き刺し殺しました。
しかし主イエスが雲と共に現れ、彼らは主を見ます。
その時彼らは十字架につけた主イエスが、自分達が待ち望んでいた救い主である事に気が付きます。
彼等は嘆き、激しく泣きます。そして主イエスを信じます。
こうしてユダヤ人の間にリバイバルが起こります。
Ⅲ キリストと教会
「私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。」(5-6節)
主イエスは「人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。」(マタイ24:31)と言われました。主が再臨される時、地上にいる聖徒が天に携え上げられます。
終末には、患難時代が始まり、飢饉、疫病、戦争、天災等、が起こります。
しかし、その患難時代に会わないで、教会は天に携え上げられます。
聖書には、きよくなければ、神を見ることが出来ないと書いてあります。
再臨のための備えは、「きよさ」ですが、主がおいでになる時に、主の前に立つ事が出来る人はいません。私達は罪人です。神は罪深い私達を赦し、きよめて下さいます。
キリストは私達を罪から解き放つために十字架にかかり血を流して下さいました。
自分の力で、聖徒となって、再臨の時に天に携えあがられる人はいません。
ただ十字架にかかった主イエスを信じる人が、赦され、そしてきよめていただいて、天に携え上げられるのです。教会とはキリストを信じる人々の集まりです。
さらに神は私達を、祭司として下さいました。祭司の務めは神の前に出て、民のためにとりなしをする事です。世界はますます厳しさを増し、多くの人が苦しみます。
教会はそれを傍観して見ているのではなく、教会は苦しむ人々のためにとりなしをする勤めが神から与えられています。苦しむ人々のために祈り、できる助けがあるなら、愛をもってさせていただきましょう。特に教会がしなければならない事は、周囲の人々の救いのためにとりなしをする事です。
家族のため、友人のため、国のため、世界のために祈りましょう。
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