説教者 新澤昭彦師
聖書箇所 ヨハネの黙示録1:1-3
最近は、異常気象や災害など、今まで経験しなかった事が世界で起こっています。
そればかりか、新型のコロナウィルスの感染、核兵器の保有、国家間で非難の応酬など、心配するような状況が次々に起こっています。 終末には、飢饉や疫病、戦争、地震、自然災害後起こり、人類が滅亡すると聖書に預言されています。
人類が滅亡する「地球最後の日」を午前零時とし、それまでの残り時間を象徴的に示す人間が考えた終末時計があります。米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」誌は最近、「終末時計」の針を進め、午前零時までの残り時間を過去最短の「100秒」としました。
緊迫した状況を報道しています。
こういった出来事が報じられている中で、何かおかしい、多くの人が感じています。
あんまり終末に心が奪われ、不安になったり、生き方に冷静さを失ってはなりません。
多くの異端が、終末の危機をあおる事から生まれていますので、いたずらに恐れたり、心配しないで、正しい終末について理解を持たなければなりません。正しい理解は確信と平安をもたらします。
ヨハネの黙示録は、紀元90年頃、12使徒のひとり、ヨハネによって、記されました。
その時代、世界はローマの支配下にあって、皇帝ドミティアヌス帝が治めていました。
その時代はクリスチャンに対する激しい時代でした。
キリストを信じる信仰を告白する聖徒が、円形競技場の中で見世物になり、ライオンの餌食になったり、また火あぶりになりました。ドミティアヌス帝は自分を「キュリオス カイザル」と呼ぶように強制しました。キュリオスとは、主、神の事です。カイザルは皇帝を指しています。
クリスチャンにとって、主はイエス様一人です。ドミティアヌス帝を主(キュリオス)と呼ぶことは出来ません。昔日本でも江戸時代に、キリシタンが迫害されました。
キリシタン禁教令が幕府から出され、キリシタンは迫害、殉教しました。
幕府は踏み絵をさせました。この人がキリシタンかそうでないか。
主イエスの姿を彫った板を用意し、それを踏んで歩かせました。
キリシタンは主イエスの彫り物を踏むことを拒みました。
そのために拷問を受け、あるいは処刑されました。
ドミティアヌス帝の前では、「キュリオス カイザル」と言えば、処刑は免れました。
しかしクリスチャンにとって、主は主イエスおひとりです。
そのために「キュリオス カイザル」と言いませんでした。
そのために彼らは処刑の対象になりました。
ヨハネはその時代、パトモス島に島流しになりました。そこで啓示を受けて、黙示録を書きました。
Ⅰ イエス・キリストの黙示
「イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた」(1節) 。
始めに「イエス・キリストの黙示」とあります。
この書は、ヨハネが書きましたので、「ヨハネの黙示録」になっています。
1:9-3:までにキリストから7つの教会にあてられた使信、4:-22:5までにこれから起こることが記されています。大部分が、将来の事で、そこには、患難時代、千年王国、神の都が預言されています。
黙示はギリシャ語ではアポカリプシスです。
もともとの意味は覆いを取り除くという事です。啓示、開示、黙示を意味しています。
人は無知です。将来どのようなことが起こるのかわかりません。
終末について、永遠について、そして天について、人は無知です。
1節に「神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。」と記されています。
神は「すぐに起こること」は終末の事です。神はこれをキリストに与えられました。
そして、キリストは、み使いを遣わして、ヨハネに告げました。その啓示をヨハネは記しました。
ですから黙示録は、ヨハネの考えや、思想あるいは理想ではなく、キリストから受けたものです。
黙示録に記されている言葉、預言は主イエスの黙示で、将来について人は分かりません。
それをキリストが開示して下さったのが、黙示録です。
Ⅱ 書かれていることを守る者たちの幸い
「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。」(3節)と記されています。将来起こることを人々に伝え、人々に警告と、キリストに帰るように勧める人は幸いです。
そして、預言の言葉を聞いて、守る人は幸いです。
守るものという言葉は、律法的に守る事ではなく、将来に終末が来ることを信じ、心にとめる人、素晴らしい未来がある事を心にとめて、希望を持って、神の前に生きる人は幸いです。その人は、神様から幸いを受けます。これを心にとめ、信じ、守る人は確信と希望、揺るがされない平安をもって、生きる事が出来るでしょう。
Ⅲ 時が近づいている
「時が近づいているからである」(3節)ギリシャ語では「時」に当たる言葉は「クロノス」と「カイロス」があります。クロノスは経過する時のことです。
カイロスは一定の時を表す言葉として用いられます。
終末に用いられている「時」は、カイロスです。
経過していく時ではなく、ある日ある時、今から見れば将来の事です。
クロノスは流れ、カイロスは固定しています。しかし時は流れていますので、カイロスはだんだん近づいてきます。「まだだ」と思っている時に、その時は突然来ます。終末も「まだだ」と思っているとその日は突然来ます。「時が近づいて」います。
終末はまだ先の事だ、終末がある事を、信じない訳でもありません。
けれども、それはまだ先の事だ、終末は来るかもしれない、しかし今ではない。
しかし終末の出来事は、「まだだ」と思っているうちに、今の事となります。
これはすぐに起こるはずの事であり、時は近づいています。
特に今の世界に起こっている事を考えますと、終末は近づいていることを感じます。
その日は近いのです。キリストを信じましょう。
黙示録のよって啓示された御言葉を読み、将来おこることを心にとめて、しっかりキリストを信じる信仰に立って、揺るがない信仰生活を送りましょう。
そうして、揺るがされない、確信と平安と希望を持って生きて行きましょう。
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