「一つとなるため」

説教者 新澤昭彦師

聖書箇所 ヨハネの福音書17:20-26


 Ⅰ 主イエスの祈り  

最後の晩餐の時に祈られた主イエスの祈りが記されています。

1-5 主イエスは御自身のために祈られました。

6-19では、弟子達のために祈られました。

そして、20-26には、弟子達の宣教を通して信仰を持ったクリスチャンのために祈っています。

その祈りは「彼らが一つになるためで」した(11.21-23)。  

教会はキリストのからだです。

からだの諸器官がばらばらであったなら、体はその機能を発揮することができません。

右手と左手、右足と左足の働きがばらばらであったら、体は働くことが出来ないばかりか、苦しみます。もし教会の信徒同士がばらばらであったら、教会はその機能を果たすことが出来ませんし、苦しみます。  

22節に「わたしたちが一つであるように、」とあります。神は唯一ですが、父なる神と子なる神と御霊なる神がいらっしゃいます。父、御子、御霊なる神はそれぞれが人格を持っています。

しかしバラバラで行動されるのではなく、目的も、意図も、教えも共通し、三位の神は一つになって交わりを持っています。

主イエスが「彼らがみな一つとなるためです。」とおっしゃったのは、「わたしたちが一つであるように、」という神との交わりにあずかる一致です。その一致にあずかる時、麗しい調和、平和、愛があります。教会はかしらであるキリストの結びついているからだです。体に各器官があるように、教会には様々な人が集まっています。しかし、からだとして教会は一つです。私達は、キリストを信じる信仰によって、キリストと結ばれました。父、御子、御霊の神が、一つであるように、教会は一つでなければなりません。  

人はそれぞれ、意志、意見、計画を持っています。人に自我がありますと、衝突して、一致が出来ないという事が起こります。そして不一致が教会の働きを妨げます。もし体の部分部分が自己主張して、かってに動いたならば、体は機能を果たすことが出来ません。同じように教会に属する信徒が自己主張して、勝手な行動をしたり、言い争いをしますなら、教会は力を表すことが出来ません。  

26日は教会総会を開き、今年の活動を進めて行きます。

教会の活動のために、一人一人が発言することが必要です。しかし教会を導かれる方は神様です。

神様に全てを委ね、そして自分の意見が違っていたならば、神の御心に合わせて行かなければなりません。自己主張して、一致が出来なくなるならば、教会の不一致は教会から力を奪っていきます。


 Ⅱ 世にあるクリスチャン  

17:13-19に、世という言葉が繰り返し出てきます。

世とは世界と言う意味ですが、聖書では、神様を信じない、罪深い社会の事を世と言っています。

ヨハネは、「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。」と書きました。

世は神を無視し、神の御心の中に生きようとするのではなく、自分の腹を神とし、自分の望みのままに生きます。そこには、不信仰、肉の欲、むさぼり、暮らし向きの自慢などがあります。  

私達もかつては世に属するものでした。

神を信じない、神の御心を心に留めない、そして神を礼拝しませんでした。

その頃は、自分の望むままを行い。

そして同じような神に従わないで生きる人々の仲間になっていました。  

今は、主イエスを救い主といて心に受け入れ、救われ、神の子となりました。

暗闇の世から救われ、神の国に移されました。

世の中に生活していますから、他の人々と同じような生活をしていますが、国籍は天にあります。

そして神が清いように、清い心を持って生きようとしています。

また隣人を愛し、愛の中に生きています。この地上では神と共に歩み、この地上の使命が終わるとき、天のある神の国に挙げられ、そこで永遠に住みます。  

このように生きるクリスチャンは、世の中の人から尊敬を受け、そして人々から好意を受けるはずです。しかし主イエスは「世は彼らを憎みました。」と祈りました。

人々から、反対を受けたり、仲間から締め出される事があります。どうしてでしょうか。それはクリスチャンが世のものでないからです。世は神を信じない、神にそむく社会です。ですから真実に神に従おうとすると、世はクリスチャンを嫌い、反対したり、迫害するのです。

世は主イエスに反対しました。そしてついに十字架につけました。

同じように世は神を信じ、主イエスに従う、真実なクリスチャンに対立します。  

主イエスは「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。」(15)、さらに、「あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。」(18)と祈っています。  

礼拝が終わり、帰途につきます。そこには世があります。

職場、学校、地域がクリスチャンの社会だったらと思います。しかし世があります。

私達は主イエスからそこに遣わされているのです。

そこで世の光として生活をする、そこで福音を伝える。そこで恵みを証する、そのために遣わされています。神はあなたを通して御業を行い、栄光を現そうとしています。  

「あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。」(21)

「あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。」(23)と主は祈られました。 

教会が一つになるならば、教会の中に神は臨在してくださいます。

神の愛が信徒の交わりの中に生まれます。

その教会の姿を見て、世の人々は主イエスが救い主であることを知るようになるでしょう。

神の臨在の中で、世の人は不信仰を恥じ、認罪を感じるようになるでしょう。

そしてイエス・キリストを救い主と信じて、救いにあずかるようになるでしょう。  

教会が、父、御子、御霊の神との交わりにあずかり、ひとつになるならば、神の愛は教会に注がれます。教会は伝道して、人を集めなければなりません。

しかし人を集めることで伝道が成功するのでなく、教会が一つになり、神が臨在され、神の愛が注がれているならば、世の人は教会の姿を見て、神の臨在に触れ、キリストを信じて、救いにあずかり、神を知り、神の国に生きる者となるでしょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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