「キリストのからだである教会」

説教者 新澤昭彦師

聖書箇所 第一コリント12:12-27

 Ⅰ 教会はキリストのからだ  

12~27節に「からだ」という言葉が繰り返し記されています。

「からだ」とは、「キリストのからだ」のことで、教会を指しています。  

教会はからだとして、頭であるキリストと有機的に結ばれています。

主イエスが教会の中心であり、主イエスから離れたら教会は命を失います。  

「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりはその部分です」(27)。

手、足、目、耳など、からだはいろいろな部分からなっています。教会は召された人々の集まりですが、いろいろな人が集まってきます。高齢者から嬰児まで、各年齢層の人、また、それぞれが違う性格、賜物、能力を持っています。その人々が、キリストのからだとして一つに結びついています。私達はキリストのからだである教会の各器官です。  

キリストのからだとしての教会には、各器官がありますが、各器官は、バラバラではなく、キリストのからだとして一つです。足は足だけでも、手は手だけでも存在しません。手も足も胴体も一つに結びついて一つのからだになっています。クリスチャンはその教会に結びついています。


 Ⅱ 御霊の賜物  

「御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです」(11)。

御霊は目に見ることは出来ませんが、クリスチャンを教え、導いて下さいます。

私達が福音を聞いた時、主イエスを信じる事が出来たのは、御霊が働いて下さったからです。  

御霊はまた、主イエスを信じた時に、御霊の賜物を私達に与えて下さいました。主イエスを信じた私達は、御霊を持っています。さらに、神の用にかなう器となるように、一人一人に御霊の賜物が与えられています。その賜物を用いて、私達は神に仕え、教会で奉仕をすることが出来ます。  

神からいただいた賜物で、生まれつき持っている賜物があります。また、訓練によって収得した賜物もあります。それだけでなく、救われた後、神に与えられた賜物、御霊の賜物があります。

8-10に知恵のことば、・知識のことば、・信仰、・癒やしの賜物、・奇跡を行う力、・預言、・霊を見分ける力、・種々の異言、・異言を解き明かす力など、9つの賜物が記されています。

神は主を信じる人に御霊の賜物を与えて下さいました。  

12に、「ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。」

14節に「実際、からだはただ一つの部分からではなく、多くの部分から成っています。」と書いてありますように、からだは一つです。しかし各自は、同じではありません。それぞれが違う賜物を持っています。  

私達はキリストのからだの部分です。しかしみんなが同じではありません。

才能、性格、経歴、そして御霊の賜物等々みんな違いがあります。

個別差があることは神の御心です。神が私達をこのように造られました。  

私には、他の人と違う役割が神様から与えられているのです。  

足は手のように多くに機能を持ち、器用に働くことが出来ません。

しかし体の中で、足は手のように働くことが出来ないからいらなくてよいのではありません。

体は足を必要としています。

キリストのからだである教会で、たとえ、他の人のように働く、奉仕をすることが出来なくても、教会はあなたを必要としていて、教会にとって、なくてはならない存在です。 

教会では、一人一人が必要なのです。

そして各自が、主イエスを愛して、主に仕えていく時に、神は栄光を現して下さいます。  

神はあなたを必要としています。そして教会も又あなたを必要としています。

「しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。」(18)  

私は他の人のようにうまくできないからと行って教会に属さなくなるわけではありません。

キリストに属するか、属さないかと言うことは、能力の問題ではありません。

他の人と違い、他の人のようにできないかもしれません。それで教会に属さなくなるわけではありません。神はあなたを必要としているのです。

からだの各器官が他を必要としているように、教会はお互いの助けを必要としています。  

教会はあなたを必要としている、そればかりか、弱いと見られる所そこが無くてならぬものです。「それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、…」(22-24)。

体の中の見栄えのしない部分は覆われ、美しく、飾られます。教会の中で、人の助けを必要とする人々、他の人のために何かをすることが出来ない、してもらうだけかもしれません。

障害のためにそうなる事があるかもしれませんし、病で体の自由が利かなくなることもあります。

高齢となって、老い、人の助けを必要とするときが来るかもしれません。

その立場にある人は教会にとって、必要がなくなったのではなく、その人を必要としています。

教会の愛は弱く見える人に集中します。  

教会は一つです。誰かが苦しめば、教会全体が苦しみます。

誰かが喜べば、教会全体が喜びます。弱さを持っている人をいたわり、助け、心配し、配慮をする。

そして、喜んで愛の犠牲を払います。キリスト者の愛の麗しさがそこに現れます。

そして、教会はより豊かなところとなります。


 結 御霊の賜物の目的  

神はみこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えて下さいました。それは、教会を建て上げるため、またお互いの益のため、そしてその賜物を用いることによって、神の栄光を現すためです。  

無益の人は一人もいません。神はあなたを必要としています。

与えられた賜物をもって神の仕え、神の栄光を表す者とならせていただきましょう。 

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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