説教者 新澤昭彦師
聖書箇所 使徒の働き2:37-42
教会という言葉は、ギリシャ語では、エクレシアです。
ギリシャでは、資格を持つ市民を集めて、開かれた集会がエクレシアと言われていました。
キリスト教では、召された者の集まりを意味しています。
Ⅰ 教会の土台
神は愛です。神と共に生きる中に、喜び、平安があります。
しかし神と人との間に断絶があって、神が分かりません。神と人を離しているのは、神に対する人間の罪です。日本人の多くはまじめで、秩序正しい生活をしています。
それによって正しいのではなく、神の前にはすべての人は罪人です。
神は人間の罪を赦し、救うためにイエス・キリストを救い主として遣わされました。
主イエスは罪を赦すために十字架にかかって下さり、そして復活されました。
このお方が私達の救い主で、イエス様を信じる者は、罪か赦され、神との和解が与えられ、永遠の生命を持ちます。キリストを信じるなら救われる。これを福音と言っています。
神は、福音を信じるように招いています。その招きに応えて主イエスを信じた人々が召された人々です。
イエス様は「わたしはこの岩の上にわたしの教会を立てます。」(マタイ16:18)と、約束されました。この岩とは、ペテロが「あなたは、生ける神の子キリストです。」と言われた信仰告白です。
主を信じて、救われた人々の集まりが教会です。
主イエスを信じる信仰が教会の土台であり、基礎です。
Ⅱ 教会の始まり
ペンテコステの日、弟子達の上に聖霊が降りました。その時、大風のごとき響きがありました。
そのただならない音に、その日エルサレムにいた人々は、弟子達のいた所に集まってきました。
そこでペテロは立ち上がり説教しました。彼の説教は主イエスの十字架と復活でした。
ペテロの説教を聞き、人々は心が刺され、救いを求めて、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と叫びました。
そこでペテロは「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」と言いました。
人々は悔い改め、主イエスを信じ、バプテスマを受けました。その日三千人の人々が救われ、教会が誕生しました(使徒の働き2:3.7-40)。
このように救われ、新しい命を頂き、そして神の子になった人々の集まりが教会です。
聖霊の働きにより、個人個人が神に対する罪を悔改め、イエス様を信じて、バプテスマを受けます。
このように救われ、新しい命を頂き、そして神の子になった人々の集まりが教会です。
始めの教会には、教会堂という建物がありませんでした。
信仰に立ち、パブテスマを受けたクリスチャン達は、日々、宮やクリスチャンの家々に集まり、そこで教会生活が始まりました。
Ⅲ 教会の営み
どのような信仰生活を送っていたのか、42節に4つの事が記されています。使徒達の教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
①使徒達の教えを堅く守り
救われたクリスチャン達は、日曜日ごとに集まりました。
旧約の時代は土曜日が安息日で、神を礼拝する日でしたが、イエス様は日曜日に復活されました。
そこで、クリスチャン達は、日曜日に集まり礼拝をささげました。そこでは使徒達が勧めの言葉を語りました。おそらく、イエス様が語られた言葉と御業、また書簡に見られるように、教理的な事、信仰生活の実践などについて、話したのではないかと思います。救われた人々は、使徒の語るメッセージに耳を傾け、それを守り、御言葉を中心とした生活をしました。
②交わり
教会に集まったクリスチャン達は、信徒の交わりを持っていました。
その交わりは常に神を中心とした交わりでした。そして愛の交わりでした。
信仰生活が、信徒の交わりによってどんなに支えられることでしょう。
伝道者の書4:9-12に「二人は一人よりもまさっている。・・・三つ撚りの糸は簡単には切れない。」と書いてあります。世にあってクリスチャンは、一人で生活をするのでなく、教会の交わりの中で、信仰生活を送っています。そこでお互いが語り合い、祈り合い、助け合い、励まし合って信仰生活を送っています。
③パンを裂き
始めの教会の人々は、食事を持ち寄って、共に食事をし、そして礼拝が終わって、交わりをいたしました。ですから、パンを裂きと言う事は、愛餐会とも理解できます。
しかしここに記されていることは、聖餐式の事だと思います。
主は最後の晩餐の時、聖餐式を定められました。
④祈り
彼らは祈りをいたしました。使徒の働きには、祈りに付いての言及がしばしば出てきます。
祈りによって、初代教会の働きは燎原の火のように広がっていきました。
今日も祈りが教会を生かし、力の源泉となります。
今日の教会の活動について、 教会の活動の第一は、礼拝、及び宗教儀式の執行です。
日曜日は礼拝が持たれますが、ただ単なる集まりではなく、そこで天地万物の創造者、そして救いを与えて下さる三位一体の神をあがめ、感謝をささげ神を礼拝します。
そして、神と共にその週を歩みます。また教会では、洗礼式、聖餐式の聖礼典が執り行われ、献児式、結婚式、葬式、などの儀式が執り行われます。
第二に、教会では信徒の教育がなされます。
み言葉の学びにより、健全な信仰生活を送り、また人々に、私達の信仰について、証詞、あるいは説明することが出来ます。礼拝での説教も教育の一環にありますが、聖書の学びの時を持ち、個人的にも、み言葉が教えられます。
第三に、福音の宣教です。
「あなたがたは世界の光です。」と主イエスは教えられました。
神について、福音について、聞いて、知らなければ信じる事ができません。
その伝える使命が教会に与えられています。
教会が何で、何をすることが教会の使命であるかを心にとめて、健全な教会が建て上げられるように今年も主に仕えて行きましょう。
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