牧師 新澤昭彦師
聖書箇所 詩篇37:1-7.23
主によって人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。 新しい年が始まりました。
今年は良い年であるように、新年を迎え誰もが持っている共通の願いです。
良い一年、良い人生を過ごすために、人は揺るぎない、確かな人生を歩みたいと願っています。
どうしたら、揺るぎのない確信ある人生を過ごすことが出来るのでしょうか。
1節に、「悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。」と
記されています。神を信じない、悪を行う者、また不正を働くものが繁栄している。
そのことのために、詩篇の作者は、憤り、いらだち、怒りやねたみを覚えていました。
正直に働いているのに報われず、人を押しのけ、利益をむさぼって生きる人が豊な生活をしていること
は、社会の中に常にあることです。かれは周囲の人の繁栄を見て、心が揺れ動いていました。
自分を見つめてもそこから確信のある人生は生まれません。また周囲を見ても、怒りや妬みを覚える
かもしれませんが、そこからは良いものが生まれて来ません。
「主によって人の歩みは確かにされる。」私達の人生をゆるぎないものとし、確信のある人生に導か
れる方は神様です。詩篇の作者は神様に目を向けました。
Ⅰ 主に信頼して善を行え(37:3)
主に信頼して、善を行え、これは、神を信じないで、不正を行うことの正反対です。
周囲の状況に合わせて、回りが行っているから、不正を行うのではなく、神の前に生きる、そして神の言
葉の標準に合わせて、不正ではなく、善を行います。そしてどんな時にも、神に信頼して生きます。
神は生きています。そして神は信頼する者を助けて下さいます。
ですから、社会がどのように不信仰で、不正が満ちていても、私は主に信頼します。
もし試練が訪れても、その中で、神に信頼します。
最後まで、主に信頼し続けていくなら、神が必ず助けて下さる。それが私達の確信です。
Ⅱ 地に住み誠実を養え(37:3)
地に住みとは、神が与えてくださった嗣業と関係があります。
イスラエルでは、部族ごとに、また家ごとに、先祖から伝わっている嗣業としての土地がありました。
その先祖からの土地に住み、そこで農業をしたり、牧畜をしました。地に住みとは、神が与えてくださっ
た、先祖からの土地に住み、そこで誠実に働くことです。
今の時代、嗣業の地という観念はありません。けれども、神が与えてくださった、職業や、立場というも
のがあります。もし神がそこに私を置かれたならば、そこにとどまって、誠実に働くということです。
今はセクハラ、パワハラといった問題が職場にあって、職場にいることによって、精神的なダメージを受けることがあります。ですから、地にとどまり、といっても難しい時代です。
職業は変わるかもしれません。
しかし私達にとって、変えてはいけない立場は神の御旨の中にとどまるという事です。
Ⅲ 主を己の喜びとせよ(37:4)
イエス様がいる、そこに真の喜びがあります。人生の旅路を歩く時、私達は一人ではありません。
いつもイエス様が共にいて下さいます。イエス様が一緒にいらっしゃる時に、喜び、平安、光があります。
しかしイエス様から離れるならどんなに豊かになってもそこには、心を満たすものは何もありません。
Ⅳ あなたの道を主に委ねよ
道とは人生のこと、そしてゆだねるという語は、重荷を転がしていくと言う意味です。
カークパトリックと言う先生は、この語を「人生の苦悩の重荷を主の上に振り払って、負ってもらいな
さい」と説明しました。 人生には沢山苦労の重荷があります。
それを思い煩い、自分で負っていくのでなく、主に信頼し、主にゆだねる事です。
主にゆだねるのは重荷をだけではありません。
私自身を主に委ね、神の御御心がなされるように生きる事です。
神はあなたに対して御心を持っています。
そしてあなたの歩みを通して神の栄光を表そうとしています。計画と立てる事は大切です。
しかしその計画は、神の御心にかなっているでしょうか。
私の計画が神の御心と違うなら、神の御心に沿った道に生きる事です。
主の御心に沿って生きるなら、主は心に平安を与えて下さり、神の栄光を現して下さいます。
Ⅴ 耐え忍んで主を待て(37:7)
忍耐は、人の内面を深めていきます。
黙示録1:9に、「私ヨハネは…イエスにある苦難と御國と忍耐にあずかっている者…」と書いてありま
す。苦難と忍耐の間に御國があります。
神の御国は苦難の中で忍耐を持って、信仰を守り通した人々が入るのでしょう。
また苦難の中で忍耐を持って通ることは、信仰者の心を御国にふさわしいものと整えていきます。
ある人は神様でも、苦難なしに聖徒を造る事が出来ない。と言いました。
苦難にあう時、耐え忍んで主に従う事を通して、聖徒が作られていきます。
耐え忍ぶことは、ただ我慢することではありません。忍耐の中に、希望と期待を私たちは持っています。
苦難があっても、耐え忍んで、主を待つならば、苦しみから解放され、苦しみが喜びに変わる日が来ると
私たちは信じています。ロマ8:28には「神がすべてのことを働かせて、益として下さる事を、私たちは
知っている」と記されています。ですから今の苦難を耐え忍ぶ中にも、私たちは希望と期待とを持って
いるのです。
神を恐れない、神を信じないで、不正を働く人が栄えている現実を見るかもしれません。
しかし私たちの人生の歩みを確かにして下さる方は、神様です。新しい年が始まりました。
昨年は災害が多い年でした。今年はどんな年になるかわかりません。
けれども神様に心の目を向けましょう。
今年は教会で持たれている礼拝に出席して、主に信頼し、誠実を養い、主を喜びとし、道を主に委
ね、忍耐を働かせ、主にある歩みをさせていただきましょう。
そうするならば、揺るぐ事がない、確信のある人生を生きることが出来るでしょう。
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