第七課 「神のかたち」

多くの人々が青年期に人生の問題を考え、悩み、その中で、「人とは何か」という疑問に自問自答し

てきました。  

ある人に「何のために生きるのか。」と質問しました。

その人は「働くため、に生きる。」と言いました。

それでは「何のために働くのか」、「食べるために働く」、「何のために食べるのか、生きるため、働く

ため」、といいました。この繰り返しは、「何のために生きるのか。」という質問に答えていません。

「人間が何のために生きるのか」、働くため、食べるため、子孫を残すため、出世をするため、これは生

きることの土台付けで、何のためにと、人生に言う意味付けを与えていません。 

創世記1:24-31に、人間の創造について記されています。28節には、「生めよ。増えよ。」と記されて

います。これは結婚して、家庭を持って子供を生み、子孫を残していく。そのことによって人類が繁栄

することです。さらに「すべての生き物を支配せよ。」と記されています。支配すること、治めるこ

と、よい成績を上げること、広く理解した時に、向上心です。人がさらによくなることを求めて生き

る。又治めていく。そのことによって人は社会を形成し、この地上で繁栄することが出来ます。

また29節に「それがあなた方の食物となる。」と記されています。これは食物です。これによって、

生命を維持し、体を成長させていくことが出来ます。神は地上で人類が繁栄するために、このように備

えていらっしゃいます。それらは、生命を維持する。子孫を残す。人類を繁栄させるために必要です。

それは生命を維持するための人生の土台付けです。しかし意味付けをするものではありません。生き

るため、食べるために働く。また結婚する。あるいは仕事に成功し、栄誉を受けることが人生の目的

ではありません。  

食事をとることは健康を保ち、仕事をする活力を持つために大切です。そのために食欲があることはよ

いことです。しかし食欲を満たすことを人生の目的とし、それによって意味付けをしようとするなら、

人生の舵取りを誤るでしょう。もし性欲を満たすことを人生の目的としますなら、破廉恥な罪となり、

その人の人格も、幸福も奪います。そして他の人を傷つける結果になるでしょう。もし支配欲を目的と

しますなら、支配欲を持つ人、あるいは国同士が衝突し、争いが生じるでしょう。この欲のために、自

分の生きる道を見失った人々が沢山います。そして自然を正しく支配しないで、誤った行動が、世界に

自然破壊・環境破壊をもたらしています。  

「人生では一番何が大切なのですか。」更に「人とは何か。」という質問は、生きるための手段でな

く何のために生きるのかという、人生の意味付け、あるいは人生の目的に関する質問です。

これは生きるため、食べるために働く、また働くために生きるということでは満足出来ません。  

創世記1章26節に、「我々に似るように、我々のかたちに人を造ろう。」と神はおっしゃいました。

27節には、「神はこのように人を神のかたちに創造された。」と記されています。神は神のかたちに人

を造られた。ここに人生の意味付けを見ることが出来ます。神が神のかたちに人を造られた、このこと

を抜きにして、「人とは何か」を知ることが出来ませんし、人生の目的を知ることが出来ないのです。  それでは、人を神のかたちに造ったという時に、「神のかたちは」何を意味しているのでしょう。 


Ⅰ 人の大切さ  

神は御言葉をもって世界を造りました。

しかし人間にだけ神のかたちに創造されたと記されています。

神のかたちとして人は創造されたのですから、人間には、他のものと比べることが出来ない尊厳さがあります。一人一人の命は尊いものです。人の生命と人そのものを尊重しなければなりません。

神は十戒の中で、「殺してはいけない。」と戒められています。これは殺人に対する禁止ですが、それ以

上に、神は人のいのちの尊厳ということをこの戒めで教えています。

神のかたちとして創造された人間は、そこに一人一人を尊重しなければいけない大切さがあります。 

他人の命を尊重しなければなりませんが、私たち自身、自分自身について考えてみましょう。

あなたの生命は神が神のかたちとして造られた、尊い存在です。他人と比べてみて、自分を卑下したり、

劣等感を感じることはありませんか。他人と違うかもしれませんが、あなたは神に造られた尊い存在な

のです。自分を他人と比べてみて、卑下する必要はありません。神のかたちに似せて造られたという

中にあなた自身の素晴らしさがあるのです。神があなたをこのように造られ、そしてあなたは神の作品

で、神のかたちに造られているのです。  

神は一人一人を必要としています。手、足、耳、目を体が必要としているように、神はすべての人を必要

としていて、たとえ無力さを感じていても、あなたは神に必要とされているのです。

人と比べたり、人よりも上になろうとして背伸びをするのでなく、ありのままの自分でよいのです。

このままの私を神は愛していてくださる。ですから神に信頼し、神を愛し、誠実に生きていけばよい

のです。  

神があなたを神のかたちに造られた、ですから、神にとってあなたはかけがえのない、大切な人なので

す。もし弱くても、もし他人のような良い働きが出来なかったとしても、神があなたを造られたので

す。神が神に似せて神のかたち造られた、という言葉の中に、神がどんなにあなたを大切なものとし

てみているかを知る事が出来ます。一人一人は神の前に大切な存在であり、尊重されなければなりませ

ん。

 

Ⅱ 神との交わり  

神のかたちとありますが、神は霊ですから、神には外形的な形がありません。

ここで言うかたちとは、外形ではなく、むしろ内面性を言っています。神が霊であるように人間を霊

的存在として創造されたということです。即ち、人が神を信じ、神を礼拝し、神と交わり、神と共に

生きるように人を創造されたのです。  

創世記2:7に「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた

者となった。」と再び人間の創造について1章とは違った記述が記されています。

ここでは、土のちりで人を造った。そしていのちの息をその鼻に吹き入れたと記されています。

ヘブル語では、息と霊は共通する語源を持っています。息が吹き込まれたということは、霊が与えられ

たと読むことが出来ます。人は霊が与えられた時に、生きたものとなりました。

霊とは、気持ちの悪いものではありません。

霊とは形がなく、見る事ができませんが、人格的に存在するもののことです。  

ある人は、人間の人格を、肉体と魂と霊、に分けて説明しました。肉体は人格の物質的部分です。

ですから、形があります。見る事が出来ます。

魂は目に見る事が出来ない人格で、知・情・意が働くところです。

一寸の虫にも五分の魂と言う言葉があります。小さな虫にも魂が宿っている。ということですね。

鳥や、動物の世界に、母性愛や仲間意識のような、内面的な行動があります。それらは魂の働きです。

しかし私が私であると言う時に、この物質としての肉体、愛情や意思を表す魂だけでなく、もっと大切

な私の内面性があります。目に見る事が出来ない内面性の中心にあるものが霊なのです。

霊は神と交わる人格の中心です。そして霊の中に清さ、愛が宿るのです。

霊は神と交わる働きをしますが、そこに神がなくなるときに、人は霊的命を失います。そして自我が心を支配するようになります。  

動物は魂をもっていますが、霊がありません。

どんなに優秀な動物でも、お祈りしたり、礼拝をすることは在りません。

しかし人が住む社会には、どこに行っても宗教があります。

霊の命を与えたと言うことは、神が人を神と交わるように、作られたと言うことです。そして神との交

わりの中に、心が潤されて、喜び・希望・確信・平安を持って生きることが出来るのです。  

人は神と交わり、神と共の生きるように造られました。

ですから神を信じ、神と共に生きる中に心の潤い、確信がある生活があるのです。

たとえ富、知識、地位、快楽などを得ても、神との交わりが心にないなら、魂に空しさが残ります。

逆に主イエスによって、神を信じ、神とともに生きるならば、どんな環境や境遇の中にいても、心に喜び

と平安を抱き、確信のある人生を生きる事が出来るのです。


 Ⅲ 神に似た道徳性  

26節に神は神に似たものとして人を造られた事が記されています。

5:1にもアダムを創造されたとき、神に似せて彼を造られ、と記されています。 

エペソ4:24には、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり作り出された、と記されています。

神のかたちに人を創造したということは、神に似せて造っ たということですが、これは神の道徳的

性質に似せて造られたということを意味しています。 神の道徳的性質は、聖・愛・義・憐れみ・まこ

とです。神のかたちとは、その道徳的性質に似せてと言うことを意味しています。  

聖書(レビ記19:2)に「あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者となら

なければならない。」とかいてあります。真の神は聖なる神です。

神のお心は澄んでいて、汚れ、不義は存在しません。聖書は回転の影がないといっていますが、表も

裏もない方で、神がいますところは聖なる所、聖所といわれます。神がいます時間を聖なる時間とい

われています。その神は「あなたがたも聖なる者とならなければならない。」といわれていますが、

心の純潔なものとして人を作られました。本来の人は清く生きる人であり、そして清く生きる中に人

の本来の美しさがあります。  

神は愛です。神は神を愛し、隣人を愛して生きるように人を造られました。聖と愛は深くかかわって

います。本当の清さは、心の中に愛が満ちていて、不順なものがない状態です。愛に満ちている人

は、自己中心ではありません。悪意はありません。言葉と行動だけでなく、心から隣人の祝福を絶え

ず願います。喜ぶものととともに喜び、悲しむものと共に悲しみます。そして隣人と重荷を分かち合

い、自分に出来ることならば喜んで助けの手を差し伸べます。  

また神が正しく、憐れみ深く、真実であるように、神に似せて人を正しく歩むもの、憐れみ深いも

の、真実・誠実なものとして作られました。  

人間はわがままに生活し、欲望や汚れた生活をするのではなく、清い心をもち、愛の中に生活し、幸いな

人生を過ごすことを神は求めておられるのです。 神を忘れ、自己中心に生きる人生は何と貧しい人生

でしょうか。もし神を忘れ、欲望に生きる。汚れに生きる。傲慢に生きるならば、もし神に似せて造ら

れた神のかたちを失うなら、人間は動物よりも低いものになってしまいます。人間の尊厳を失います。 

神は神のかたちに人を創造しました。しかし人は、神を捨てて、神に背を向けてまいりました。

神に背を向け、自己中心に生きたとき、人は幸いを得たでしょうか。

むしろ神に背を向けて、豊かさや、欲望を求めている現代は、自ら、苦しみ、悲しみを刈り取っているのではないでしょうか。  

神は神のかたちに人を創造されましたが、人は神を捨てて、神のかたちを捨て、人が持っている尊厳

さを失い、そして人生に期待される喜び・平安に満ちた幸いを失っているのではないでしょうか。  

どうしたら、人は失ってしまった神のかたちを回復する事が出来るのでしょうか。  

ヨハネ3:16には、御子を信じるものは永遠のいのちをもつといわれています。

永遠のいのちとは霊的ないのちです。イエス・キリストを救い主として心の中に迎え入れるとき、そ

の人は御霊によって霊的いのちを持ちます。これをイエス様は新しく生まれるといいました。だれで

も新しく生まれる、霊的な誕生をすることが必要です。だれでもイエス・キリストを信じるとき、霊

的ないのちを持ち、新しく生まれます。  

第二コリント5:17には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。

古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と記されています。  

人は神に背を向けて生き、神が始めに神に似せて人を創造したときの、きよさ、愛などの麗しい品性

を失いました。ここにある古い人とは、神に背を向け、自己中心に生きた自分、罪や汚れのある自分

です。けれどもイエス・キリストを信じるときに、キリストは私たちを内側から変えてくださいま

す。新しくという言葉は、上からとか、再びという意味があります。人が不信仰と罪のために失って

いた、きよさ、愛、正しさ、真実に生きる神のかたち、その神のかたちを信じる人のうちに再創造し

てくださるという意味です。神のかたちの回復です。  

私達が主イエスを信じるならば、神と共に歩む、また心が聖く、愛の中に生きる、人生を過ごすこと

が出来るのです。神との交わりの中に喜び・確信・平安に満たされた潤いある人生を過ごす事が出来

ると聖書は約束しています。  

人生短く、それは片道切符の旅です。

少年時代は思い出すことが出来ても、再び繰り返すことが出来ません。過去の反省は成長の糧とする

ことができますが、人生のやり直しは出来ないのです。ですから私達は、一回限りの人生を有意義な

ものとするために、人生を見つめて、人とは何か、何のために生きるのか、考える必要があるのでは

ないでしょうか。  

この地上で、どんなに事業に成功しても、裕福になったとしても、そして業績を残して、栄誉を得たとし

ても、死とともに、自分本位にしたことは、やがて消えていきます。どんな業績を残さなかったとして

も、神とともに歩んだ、神を恐れ、神の御前に歩いた。そして、隣人を愛し、隣人のために、神の愛に生

き、神に覚えられている生涯こそ価値があるのです。  

神は神のかたちに人を創造しました。

一度しかない、片道切符の人生を神なしに生きるのでなく、イエス・キリストを信じ、神とともに生きていきましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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