第十二課 「主の復活=神の臨在の約束」


「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいるのである。」マタイ28:20  

キリストの生涯は、神に仕えた生涯、人に仕えた生涯、愛の生涯でした。キリストは33歳と数ヶ月の生涯で、十字架にかかりました。イエス様が十字架で息を引き取られ、そのお体はアリマタヤのヨセフの墓に葬られました。イエス様の亡骸はもつ薬や香油などを塗り、亜麻布で包みました。そして横穴式の墓に安置し、入口を石でふさぎました。  

それから3日目の日曜日の朝、数名のイエス様に従ってきた女性たちが墓に来ました。彼女たちが墓についた時、石は脇へ転がしてあり、入口は開いていました。そして、御使いが石の上に座っていました。  

御使いは女たちに「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。」と告げました。イエス様は復活されたのです。  

それから11回ほど、イエス様は弟子達に現れています。

ガリラヤの山で、弟子に現れた時、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と約束されました。  

弟子達が、イエス様がいなくなった後、暗黒な社会にキリストの教え伝えていく事は困難でした。けれどもイエス様は復活し、いつも弟子たちと共にいると約束してくださいました。弟子達に現れて、約束して下さったように、イエス様は私達にも、[わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。]と約束しています。イエス様がいつも共にいて下さるとは、どんなに素晴らしい約束でしょう。イエス様が共にいて下さる時、どのような恵みがあるのか、考えてみましょう。


 Ⅰ イエス様は共にいて下さる。そこには神の守りがあります。  

昔、今から3500年ほど昔ですが、イスラエル人が、エジプトに寄留していました。彼らは奴隷となって、苦役を強いられていました。彼らは苦しみの中から叫び、その祈りは神様に聞かれました。神様は指導者にモーセを選び、エジプトから救い出されました。聖書はその時の事について、昼は雲の柱、夜は火の柱があったことを記しています。雲の柱、火の柱は神様の臨在を表しています。彼等は40年間、荒野を旅しました。猛獣、敵対する民族、水も食料もない荒野、いくつもの困難の中を通って、約束の地を目指して旅をしました。神は臨在を持って民を守って下さいました。イエス様は共にいて下さると言うことは、神の臨在を意味しています。イエス様はいつも私達と一緒にいて、守って下さいます。  

私達の人生で、誕生から、少年・少女の時代、思春期、青年期、結婚して、壮年期、老年期を通って人生の締めくくりをするまで、どんなに危険が待ち受けていることでしょう。病気や事故、経済的な不安の中を通ります。イエス様は甦り、今も生きています。イエス様を信じるなら、共に歩んで下さいます。そしてあらゆる危険からあなたを守って下さいます。


 Ⅱ イエス様は共にいて、導いて下さいます。  

先ほど、イスラエル人がエジプトを出発して、約束の国に向かう時、昼は雲の柱、夜は火の柱があったことを書きしました。  

雲の柱、火の柱は神の臨在をあらわしています。それは神の守りを意味しますが、また神の導きも意味しています。主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み、行かせられました。  

エジプトを出た民は、老人を除いて20歳以上の男子の数が60万人です。婦人、子供、老人を加えますと、200~300万人いたと思われます。その大集団が、荒野を通って約束の国まで旅をしなければなりません。どの道を通っていったら良いのでしょうか。いつも神が共にいて、彼らを導かれました。イスラエルの群衆は、雲の柱・火の柱が移動すると、それに従って進み、雲の柱・火の柱がとどまるとそこにテントを張って、宿営いたしました。彼らは神の臨在に導かれて旅をしました。  

イエス様は復活し、いつも信頼するものと共に歩んでくださいます。そして、人生を正しい道、祝福の道に導いて下さいます。 人の能力は有限です。目の前のことしかわかりません。そして自分の考えや計画に基づいて、良いと思われる道を選びます。しかし自分の我から道を選ぶ時、誤りや、危険な道を選ぶことがあります。また、行き詰まる事があります。イエス様はあなたと共にいて、臨在をもってあなたの道を導いてくださいます。イエス様は永遠から永遠まで全てを知っている神様ですから、あなたの人生の道を最善の導いてくださいます。人生は自分でも分からない事があります。神の導きに従う人生こそ幸いな人生です。


 Ⅲ イエス様は、苦しみの中にもともに歩んでくださいます。  

イエス様は「私はあなたを捨てて孤児とはしない。」(ヨハネ14:18)と言われました。

イエス様は決して私達を見捨てることはありません。  

人生は、試練の中を通ることがあります。イエス様が共にいるという事は、危険に会う事も、試練に会うこともないという事を意味していません。試練がない人生はないでしょう。試練の中を行く時、どんなにつらく、苦しいことでしょう。けれどもイエス様がいつも私達とともにいて下さいますから、試練も恐れずに生きることが出来ます。イエス様は試練の中で、私達を助けて下さいます。試練に中で主と共に歩んだ経験は後の人生で益となり、人々を助け、励ます豊かな人格を育んでいきます。  

人生には苦しみや辛い経験があります。こんなに苦しい中を通っているのは、神が見捨てられたのだろうか。私が苦しい中にいて、本当に助けて欲しい時に、友達が段々私から去っていくと言うことが人生にはあります。しかし、どんなに苦しめられ、辱められても、私がどんな立場に立たされても、イエス様はあなたから離れることがありません。そして「時がくれば」助けて下さいます。イエス様に信頼し、へりくだった心を持って生きるとき、その人を高く引き上げてくださるのです。  

詩篇23:4に、「たとい私は死の陰を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしとともにおられるからです。」と書いてあります。たとい重い病にかかり、死の思うような状態になったとしても、たとい死に直面する事があったとしても、主が共にいて下さるなら、心の中の平安は消えません。主が共にいて下さり、心に主との交わりがあるからです。そして主と共に生き、希望に満ちて天国に凱旋することが出来るのです。  

主イエスは、十字架にかかってくださいましたが、復活され、今も生きていてます。そして主イエスは主に信頼するものと共にいて、苦しみの中にも、喜びの中にも共に歩んでくださいます。そして素晴らしい人生を送らせてくださいます。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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