第十三課 「信仰による救い」

「あなたがたが救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ2:8) 今回は救いについて、学びます。


 Ⅰ 救いについて  

キリスト教の中心テーマは「救い」です。イエス様は世界の人々を救うために、救い主として、降誕されました。また初代教会から、今日まで教会は救いのメッセージを語ってきました。  

一言で「救い」と言いましても、聞く人によって、救いという言葉をいろいろ自分になりに考え、聖書が語っている救いとは別の理解をするケースがあります。  

ある人は経済的な困窮からの救いを考えます。また病気が治る事を救いと考える方もあります。聖書で言う「救い」とは、十字架にかかり、復活されたイエス・キリストを救い主として信じる信仰によって、罪が赦され、神との和解が与えられる、神より与えられる恵みを意味しています。それは神からの賜物です。


 一、救いは罪の赦しです。  

聖書には、「すべての人が罪を犯した」と書いてあります。罪とは、神に対する罪ですが、きよい神の前に立つ時、罪がありませんと言える人はありません。神に対する罪は神との交わりと永遠の希望を私遠から奪います。  

神様は聖なる方です。神は聖なる光で心を照らし、神の前に、罪を隠すことは出来ません。人は良心を持っています。心に神の光を受け、罪に気がならば、良心の呵責に苦しむでしょう。  

人に対する罪は償いによって解決をする事が出来るかもしれません。しかし神に対する罪はどうしたら償う事が出来るのでしょうか。どんな人間的努力しても、正しく生きようと努力をすることは当たり前で、努力によっては罪を償う事が出来ません。 神は人の罪を赦し、救うために神の独り子を救い主としてこの世界に遭わされました。そして全世界の全ての人々の罪を赦すために、神の御子イエス・キリストを十字架にはりつけになさいました。キリストの十字架は犠牲です。罪のないお方が、罪人を赦す為に身代わりに十字架にかかられました。神はキリストの十字架の故に、罪人を赦し、義なる者にしようとなさいました。ですから、だれでも心から罪を悔い改め十字架にかかられた主イエスを救い主と信じならば救われます。神は全ての罪を赦して下さり、一度も罪を犯した事がない者と認めて下さいます。


 二、救いによって、神との和解が与えられます。  

神は天地万物の造り主です。全知・全能の神、そして愛の神です。神とともに人生の道を歩む事は何と素晴らしい祝福でしょうか。人生にはいろいろな出来事がありますが、神が共におられるならば、心に平安があり、揺るがない確信を持って生き続ける事が出来ます。罪は神と人との間を裂きました。しかし罪は赦されました。救いにより神との和解が与えられ、私達は神と共に生きる事が出来るのです。


 三、神の子となります。  

救われた人々は神の子です。神の子といっても、神が全知全能の方であるように、神になったわけではありません。神の家族の一員となり、神の子としての特権を持つようになったのです。  

私達は、かつて、神の子でありませんでした。エペソ2:3には、「生まれながら御怒りを受ける子」と書いてあります。それが救われる前の人の状態です。又別の個所には、奴隷の子という表現もあります。奴隷の子は、同じ家に住んでいながら、その家に何の権利も持ちません。主人の許可がなければ、居間にも、食堂にも、主人の書斎にも入れません。しかし子どもは自由に出入りする事が出来ます。神の子は子として神の家に出入りする事が出来ます。神の子には、天地万物を創造された神を親しくお父様と呼ぶ特権が与えられています。 それだけでなく、神の子について、神より生まれたという言葉がありますが、神の性質を生命的に心の中に持つようになります。親は子に似ますが、神の子達は神に似たものになります。神の性質は愛、聖、正義、真実ですが、神の性質を心に宿し、そして愛にも、きよさにも、成長します。


 四、救われ永遠の命が与えられます。  

肉体の命は有限です。人は死を免れる事が出来ません。しかし主イエスを信じる時、神は霊的な新しい命を下さいます。肉体は成長がありますが、老いがあります。そしてそれに続く人生の経験は死です。  

老いから、死から人間は避ける事が出来ません。避けるのでなく、死の現実を認め、そして死に対する備えをする事が必要です。死に対する備えは永遠のいのちです。肉体は朽ち、墓に葬られます。しかし救われ、神は霊的いのちを神の子達に与えています。霊的な命は本当の私の命です。この命は肉体の死によって消滅することはありません。霊的に生かされ、地上の生涯が終わっても、天国に帰っていきます。 霊的命は永遠に生きるというだけでなく、これは神と共に生きる事を可能にするいのちです。永遠のいのちをもって地上では、神と共に歩み、そして永遠では、天のみ国でいつまでも生きる事が出来るます。


 Ⅱ 信仰について  神の愛は昔も今も変わる事がありません。自己中心に生きている姿、愛がない生活を見て、神はどんなに心を痛めているでしょうか。その罪深い人々に対する神の心は愛です。神は人々を悔改めに導き、救い、祝福したいのです。  

神は恵み深くい方です。愛される資格がないものを愛し、顧み、祝福しようとしています。神は人を愛し、御子イエスを十字架に付け、人を救おうとされました。その神の恵みよって救われるのです。 

聖書に「あなたがたが救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。けれども信仰によって救われたのです」と書いてあります。救いは神の恵みによります。その神の恵みを受ける手段は信仰です。その信仰とは、何をどのように信じる信仰なのでしょうか。 神は人類の罪をご覧になり、憂いました。神は罪の中に生きている人をなお愛し、その罪から救うために御子イエス・キリストを救い主として世界に遣わされました。罪の赦しのための贖罪として、イエス・キリストを十字架につけられました。それは罪の無いものが、罪人の代わりに、罪人の罪を赦すために、命を犠牲にされた事を意味しています。キリストは十字架にかかり、命を捨て、墓に葬られましたが、三日目に復活されました。キリストは生きている救い主です。神はイエス・キリストにより贖罪を完成なさり、そしてだれでもイエス様を救い主として信じるなら救われる、と人々を招いているのです。救われる信仰とは、神の招きに答えて、十字架にかかり、甦られた,イエス・キリストを信じる信仰です。  

救われる信仰には三つの要素を含んでいます。

 ①同意。  救われる信仰の根拠は聖書にあります。聖書はイエス・キリストがあなたの救い主であるについて、十分な知識を提供しています。 神は昔から、救い主を遣わすと約束していました。神は人類を救うために神の御子イエス・キリストを世界に遣わされました。そして、キリストは全ての人の罪を贖うために十字架にかかられ、三日目に復活されました。イエス・キリストが十字架にかかられたのは、罪から私達を救うためでした。イエス・キリストによって神が与えようとしている救いは、自分のためであることを認めるという意味での同意です。信仰の第一は聖書のみことばに基づいて、同意することです。

 ②信頼。 救われるための信仰は、キリストに関する真理への単なる同意だけではなく、信頼にまで高められなければなりません。  

信頼とは、委ねること、寄りかかることと言い換える事が出来ます。椅子に座る時、自分の体を椅子に任せます。信頼とはそのように、イエス様に寄りかかり、自分の力ではなく、イエス様に任せることです。  

私達は私の救いのために何もする事が出来ません。私を救う事ができるお方はイエス様だけです。イエス様は十字架にかかり、「完了した」と言われました。あなたを救うための業が全て終了した事を表す宣言です。イエス様はあなたを支え、救う事が出来ます。イエス様に寄りかかって、失望に終わることは決してありません。イエス様に信頼する時、神はあなたを救い、神との和解を与えてくださいます。

 ③イエス様を心の中に受け入れることです。  イエス様は、今も私達の心に語りかけています。

ヨハネの黙示録3:20に「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」と書いてあります。 

「わたし」はイエス様です。「戸」は心の扉です。イエス様はあなたの心の中に私を迎え入れませんか、と心の扉をたたいています。その扉のノブは内側についていて、中から開けるようになっています。 イエス様はあなたの心の扉をたたいています。イエス様がノブに手を当てて、戸をあけるのでなく、イエス様の「私を心に迎えませんか」というやさしい、愛の声を聞いて、心の扉を開けるのはあなたです。  あなたが心の扉を開けるならば、イエス様が心の中にお入りくださいます。イエス様は罪を赦し、あなたの心を新しくしてくださいます。そして心の中にイエス様との交わりを持ち、心は恵みに満たされ、喜びと平安があふれてきます。  

人が救われるのは神の恵みです。私達は神の恵みに答えて、イエス・キリストを信じて救われます。あなたはイエス・キリストを信じ、心の中に迎え入れられましたか。もしまだでしたなら、今日あなたの救い主として、イエス・キリストを心の中にお迎えください。 人にとって、もっとも大切な問題は魂の救いです。神の御心は全ての人が救われて真理を知ることです。救いの確信を持って、神と共に歩ませていただきましょう  

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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