牧師 新澤昭彦師
聖書箇所 コロサイ1:1~2
コロサイは小アジアの町です。パウロがこの手紙を書いた頃は栄えた町でした。
コロサイの教会は、パウロより福音を聞き、信仰に入ったエパフラスによって福音が伝えられ、建て上げられました。パウロによって導かれた教会ではありませんが、エパフラスより、コロサイ教会の様子を聞き、彼はコロサイの教会を愛し、彼らのために祈っていました。
パウロは三回の伝道旅行の後、エルサレムでユダヤ人に捕縛され、法廷に引き出されました。
彼はカイザルに上訴したため、ローマに行くこととなりました。ローマでは獄中生活をしました。
ローマの獄中にエパフラスが訪れ、そこでコロサイの教会の様子を聞きました。
パウロは獄中でコロサイ人への手紙を書き、テキコとオネシモに託して、この手紙を送りました。
始めの挨拶の中で、パウロは「恵みと平安があなた方のうえにありますように」と祈っています。
Ⅰ まず恵みについてお話いたします。
恵みとは、受けるに値しない者に与えられる神の好意、親切です。神の愛は恵みとして私達に注がれます。イエス・キリストを信じる人々に神の愛は恵みとして現わされます。私たちは絶えず神の恵みを必要としています。そして神の恵みによって、潤いのある信仰生活を送る事が出来ます。
私達はイエス・キリストを信じる信仰によって、神の子です。永遠の命をいただいています。
かつて、私達は神の子と呼ばれるようなものではありませんでした。『生まれながら御怒りを受ける子』でした。けれども、イエス・キリストが人類の罪を赦すために十字架にかかって下さいました。私達は、何の功しもありません。けれども、主イエスを救い主と信じた時に、神は罪を赦して下さいました。そして私達を神の子として下さいました。私達が救われ、神の子になったのは、私達の功績や努力によってのではなく、ただ神の恵みによります。
死の後の未来については、全く希望がなく、滅びに行くべき者でした。けれども信仰によって罪の赦しが与えられただけでなく、永遠の命が与えられました。それによって、私達は滅びではなく、たとえこの体が朽ちても、天の御国に帰っていくという確信を持っています。それは恵みです。
また、主と共に歩んでいく時に、神は恵みによって、信じる人々を神のかたちに造り変えて下さいます。神の子となるという立場だけでなく、神の子の実質、神の子にふさわしいものと神は変え続けて下さるのです。
もしキリストを信じ、キリストに従い続けていくなら、私達の理解を遥かに超えた神の恵みで、私達は生かされていくでしょう。
Ⅱ 平安についてお話いたします。
平安は何物も起こらない、安心ではなく、どのような中にあっても、ゆるがされない心の平静さ、内的な平和です。
人間は動揺しやすい生き物です。様々な事から、緊張や、心配や、些細なことで動揺をして、平安をなくす事があります。そして心の中の事が、体に影響を与え病気になったり、人生に影響を与える事さえあります。
平安は神との正しい関係によってもたらされるものですが、もし神の前に、罪があるならば、良心の呵責を覚え、心から平安が奪われます。 死の恐怖が心を襲う時、心から平安が奪われます。
心配ごとのために、心から平安が奪われる事があります。 主イエスは最後の晩餐の席で、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」とおっしゃいました。主は弟子達に何の財産も残していきませんでした。しかし平安を遺産として遺していかれました。その平安は、弟子達だけでなく、主イエスを信じる私達にも与えられています。
平安が心の中にある事はなんと素晴らしいでしょう。平安を失う事は、不幸よりも悲惨です。災害など、突然の出来事で、不幸になる事があります。しかし心に平安があるならば、その不幸な状態から、立ち直っていこうと言う力を持ちます。人にとって繁栄以上に大切なものは平安です。
ピリピ書4:6.7に「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と書いてあります。
どうしたら心に平安を持つ人になれるのでしょうか。
①平安はイエス様の十字架の贖いを信じることにより与えられます。
人の心から平安を奪う最大に原因は罪です。神に対して罪があるなら、罪は心から平安を奪い、心の中で重荷となります。十字架にかかり、復活した主イエスを信じるならば、心の重荷がのぞかれ、平安をもつ事ができます。
②神に信頼し、全てを神に委ねることにより。詩篇46:1-3
避け所は危険に際して、非難する場所です。神が避け所になって、あらゆる危険から、神に信頼する者達を守って下さいます。神は避け所だけでなく、神に信頼する者の力となって下さいます。避け所が消極的な神の助けとしますなら、力は積極的な神の助けということができます。そしてそこにある助けです。手を伸ばせば届くところにいる助け、呼べば応えて下さる助けです。 神が避け所、力、助けとなって下さいますから、神にゆだね、神に信頼して生きる時に、われらは恐れない、平安と確信が心にあります。
③神の御旨の中に生き、神と心が一つになる事により、心の平安を持つ事が出来ます。
神と共に生きる時、神の神旨に従って生活する中に自由と平安があります。
しかし神の御旨にそわない生活をしていますと、平安が失われていきます。
「恵み」と「平安」はイエス・キリストを信じる信仰によって、父なる神と主イエスから私達に与えられます。主イエスを信じ、信仰によって主と共に歩みましょう。
そして主のみ心を心に留めて、神との正しい関係を保ち、神との交わりの中にお過ごし下さい。
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