牧師 新澤昭彦師
聖書箇所 コロサイ1:3~8
コロサイ教会は、エパフラスがコロサイで伝道して、教会が誕生し、彼によって指導されていた教会でした。エパフラスはローマの獄中にいるパウロを訪ね、コロサイ教会の様子を報告しました。
パウロは彼らの「キリスト・イエスに対する信仰と、全ての聖徒に対して抱いている愛」を聞き、感謝しています。そして、5節には、それらは望みに基づくものですと、信仰と希望と愛の三つが3-8節までに記されています。
Ⅰ 信仰
6節に「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、」と記されています。エパフラスはコロサイの人々に、福音の真理の言葉を伝えました。彼等は福音を聞き、それを理解しました。それは現在、私達が聞いて、理解したと同じ福音です。イエス・キリストは私達の罪を赦すために十字架にかかり死なれましたが、三日目に墓から復活しました。だれでも主イエスを救い主として心の中に迎え入れるならば、罪が赦され、救われます。彼等はこの福音を聞き、理解し、そして信じました。
イエス様が十字架にかかった事は歴史上の事実です。けれどもそれが単に客観的な事実であったならば、人を救う力がありません。主イエスが十字架にかかったのは、私のためでした。主を救い主として信じて、心の中に迎え入れる時、神は働かれ、恵みにあずかる事が出来ます。信仰は神様が約束している恵みを受け取る手段です。
神は恵みの約束をされています。信仰によってその約束を自分のものといたします。機関車が動力となって、客車や貨車を引っ張るように、信仰が動力となって、喜びや平安、また愛・聖・謙遜・柔和などの品性が与えられます。信仰は生命であり、動力です。信仰により、恵みの約束を私達のものとする事ができるのです。いつも信仰に立って歩んでまいりましょう。
Ⅱ 愛
主の弟子達への最後の教えは愛でした。主は弟子達に「あなた方は互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、そのように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」とおっしゃいました。この教えは、弟子達に対するものだけでなく、主イエスを信るすべての人に語られている教えです。 初代教会のクリスチャンの生活を見ますと、そこには、麗しい聖徒に対する愛がありました。彼らは自分の持ち物を持ち寄り、それを共有していました。飢饉にあっている教会を助け、援助の品物を送りました。そういう愛をコロサイの教会にも見る事ができました。
教会にはいろいろな方が集まります。職業も、立場も、性別も、年齢も、違います。その人々が教会の中で、主にある兄弟姉妹として、心を合わせ、互いが愛し合うということは、なんと麗しいことでしょうか。
愛について、8節に「御霊によるあなた方の愛」と記されていますが、この愛は、生まれつき人間の心にはありません。真の悔い改めと、主イエスに対する信仰を働かせ、新生の恵みに与る時、御霊が与えられます。信仰に立ち続けて歩む事により、御霊によって神の愛心に注がれます。戒めによってではなく、心に神の愛を持つ故に、隣人を愛して生きる事ができるのです。
私達の教会は小さい群れです。小さくとも。教会の中にイエス様が臨在され、お互いが愛の心を抱いて交わりをもっているならば、素晴らしい教会です。主は「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」と言われました。
Ⅲ 希望
5節に、「それらは、あなた方のために天にたくわえられてある望みに基くものです。」と記されています。「それら」は「信仰」と「愛」を指していますから、信仰と愛は望みに基いています。
希望は輝いて生きる為になくてならないものです。どんな苦境の中にあっても、希望を持つ事が出来るなら、苦境に耐える事が出来ます。けれども希望を失ってしまったなら、その時から、苦難を乗り越えていく力を失います。
神なしに希望を追い求めても、希望は消えていく事が多いのです。希望がかなったとしても、喜びでなく、新しい苦しみが始まる事があります。又希望が達せられない場合もあります。しかし聖書の中で、神が、神に信頼する者に約束して下さった希望は、いつまでも存続し、消える事がありません。
地上で祝福を得ても、それらは死と共に消えていきます。しかし主イエスを信じるならば、永遠の生命を持ち、体が朽ちても、天国へ行く事が出来ます。さらに、信仰を守り通した人には義の冠が用意されています。この希望は消えません。初代のクリスチャン達は、迫害、苦難の中を通り、信仰を守っていきました。彼らがそのような中で揺るがない信仰を持つ事が出来たのは、彼等は望みがはっきりしていたからではないでしょうか。
神は生きていて、神に信頼する者を助け、祝福を与えて下さいます。しかし信仰生活には試練の中を通ることがあります。お祈りしても解決を得られない。どうして神を信じているのに神は助けて下さらないのか、心が神から離れることがあります。しかし天にある望みを理解し、信仰と愛が希望に基づいているなら、揺るがない確信、深い信仰を持つ事が出来るでしょう。
もし天にたくわえられている望みを理解し、その望みがどんなに素晴らしく、栄光に富んだものであるかを知るならば、何にも増して、イエス・キリストを信じ、主に従っていこうとするでしょう。
そして信仰は揺るがない確信のあるものとなるでしょう。そして、聖徒が受け継ぐものがどのように栄光に富んだものであるかを知るならば、目先の損得に生きるのではなく、聖徒に対する愛の中に生きていこうとするでしょう。
神は永遠の希望を約束し、そしてキリストを信じる信仰により、与えて下さいました。天にたくわえられている希望を持って下さい。その希望に基づいて、信仰と愛が深められ、豊かな信仰生活を過させていただきましょう。
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