牧師 新澤昭彦師
聖書箇所 コロサイ人への手紙1:24-29
Ⅰ この奥義
奥義は、ギリシャ語でミステーリアンという語で、秘められたこと、隠されていることなどの意味があって、昔、ギリシャでは祭に隠されている神秘性に用いられていました。しかし新約聖書ではこの言葉が、福音の真理について用いられています。
26節に「これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。」と記されています。人に隠されていて、知る事が出来なかった、その隠されていたものが、神の意志により、啓示という形をとって知らされた神の真理について奥義と使われています。そこに人間に生と死について、永遠に関する事、また魂の救いに関して言われています。
人生の奥義を知ったならば、私達は揺るぐ事がない、確信のある人生を過す事が出来るでしょう。死に対しても恐れることはありません。
その奥義は人を救い、永遠の祝福を与えようとしている神の変わりがない愛の計画です。神は隠されている奥義を人に知らせてくださいました。
Ⅱ 奥義とは
その奥義とは「うちにいますキリスト、栄光の望み」(27節)です。
この奥義は、キリストによって実現しました。神は人を救い、永遠の祝福を与えるために、神の独り子を世界に遣わしました。キリストは受肉し、十字架によって贖いを完成し、そして復活されました。私達はキリストを信じる事により、救いを体験します。この奥義は[あなた方の中におられるキリスト]とありますように、キリストが私達のうちにいて下さる事です。
いつくしみ深く、恵み豊かな方、神の恵みの源泉であるキリストが私達のうちにいて下さり、私達の命、力となって下さいます。
キリストが内にいてくださるなら、私たちは変えられます。キリストが内にいてくださるなら、その人は生命的にうちから変化をしてきます。
キリストによって生きる人生には喜びがあります。そして平安があります。何者によっても揺るがされない確信のある人生があります。
イエス・キリストを信じる時に、神は新しい命を与えてくださいます。それは永遠の命です。人は死を乗り越える事が出来ません。けれどもあなた方のうちにおられるキリスト、死に打ち勝ち甦られたキリストが心の中に住んでくださいます。ですから、死の先に、私達は希望を持っています。この肉体は、いつかは死を迎えます。しかしその時、キリストを内に持っている人は、霊が天に帰ります。そしてキリストの再臨の時、墓から復活し栄光のからだに変えられ、神の国に何時までも生きる事が出来ます。これは栄光の望みです。ローマ8:17に「キリストとともに共同相続人なのです。」と記されていますように、キリストと共に、栄光に包まれている神の都を神の子として相続し、永遠にそこに住むのです。
Ⅲ 奥義によって
パウロが伝えたメッセージは奥義でした。彼は、キリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えました。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためでした。
奥義である、キリストを伝え、人々がキリストを信じて、救われる事は素晴らしいです。しかし神の恵み深い御業は、そこで終わるのではありません。信じた人々は、キリストにある成人として成長します。そのためにパウロは、あらゆる人々を戒め、そして教えました。
赤ちゃんが生まれることは喜びです。けれどもそれが人生の完成ではありません。赤ちゃんは成人になるように成長を開始します。
イエス様を信じて、救われた人は、新生し、神の子になりました。これは素晴らしいことです。恵みによって、新しく生まれたというだけでなく、神の子になった人々は、キリストにある成人として成長していきます。成人という言葉は、完全とか、成熟という意味があります。葡萄の枝はまもなく花を咲かせ、そして小さな葡萄のみが枝につきます。その実はまだ固く、苦く、食べれません。しかし秋になると成熟し、おいしい葡萄となります。キリストを信じて神の子になりました。み言葉に教えられ、戒められ、神の助けを祈りつつ、信仰生活を過ごし、やがて神の御前に立つ時が来ます。神の御国に入る日まで、神の子たちは成熟目指して成長し続けていくのです。
そこにはキリストへの信頼が深くなっていく、どんな事態にも動揺しないで、困難を乗り越える器となっていくという成長があるでしょう。 他の人々を愛して、神と人に役に立つ器となっていくという成長があるでしょう。
また御霊の実を結び、品性的な成長があるでしょう。
伝道・奉仕や祈りやその他の捧げ者によって神に仕えていくという成長もあるでしょう。
やがて私達は主の前に立ちますが、その日まで、成長し続け、その時に、責められることのないものとして立たせてくださるのです。
神の一人一人に対する御心は、一人一人が永遠の祝福を受けることです。その祝福は隠されていました。神の御子イエス・キリストは救い主として、降誕され、十字架にかかり、甦ってくださいました。その福音が伝えられ、コロサイの人々はキリストを信じ、救われ、神の奥義にあずかりました。そして今、私達もキリストを信じてこの奥義にあずかっているのです。
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