牧師 新澤昭彦師
聖書箇所 使徒の働き 1:3-9
主イエスは弟子達に、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あ なたがたは力を受けます。」と約束しています。主イエスの約束は、弟子達が 聖霊を受けること、そして、聖霊によって、力を受ける事でした。 聖霊はどんな力を表して下さるのでしょうか。
I キリストを証する力
主イエスは「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ち なさい。」と言いました。主イエスは主を信じる人々が心の中に持つ神の国の ことを語られたのに、弟子達は、主が言われた神の国を理解していませんで した。主は人類の救いのために世界に来られました。救いは主が十字架にか かり、罪を贖う事によって成し遂げられます。神の国は、人々がキリストを 信じ、霊魂が救われ、教会が生まれる事によって実現します。 弟子達は主が語られた神の国、また福音を理解していませんでした。それ ばかりか、彼らは私達と同じ弱さをもった人間でした。主がゲッセマネの園 で捕縛された時、弟子達はみな恐ろしくなり、主を捨てて逃げました。ペテロは大祭司の中庭まで行ったのですが、三度も主イエスを知らないと信仰告 白を拒絶しました。さらに、彼等はユダヤ人を恐れ、隠れていました。彼等 は世界に向けて影響を与える人々ではありませんでした。
しかしペンテコステの日、エルサレムには、各地から、まだ外国からも多 くの人々が祭りに出て、神を礼拝するために集まっていました。聖霊が降っ た時の物音に人々は驚き、弟子達がいた場所に集まってきました。その時に、 ペテロは大胆に説教しました。ペテロの説教は、主イエスの十字架と復活で した。ペテロに福音を語る力を与えたのは聖霊でした。 恵みを証しし、伝道する事は大切です。
けれども、伝道しようとしますと、 多くのクリスチャンは、伝道する事の難しさに直面します。
キリストによっ て救われたのに、主イエスを愛しているのにキリストを証しできない、一枚 のチラシを渡す時もない、自分が恥ずかしく思う事があります。 キリストの証しする力を与えるのは聖霊です。聖霊はクリスチャンにキリ ストを証しする力を与え、神の恵みを実現させて下さいます。
II 罪を認めさせ、魂を救う力 ペンテコステの日、
ペテロは聖霊に満たされて説教しました。ペテロの説 教は、主イエスの十字架と復活でした。
人々はペテロの説教を聞き、心が刺 されました。聖霊は人々の心に光を与え、神に対する罪を示します。そして 悔い改めと信仰に導き、明白な救いに人々を導きます。
ペテロの説教を聞いた人々は聖霊によって認罪を感じ、ペテロの勧めに従 い、罪を悔い改め、イエス・キリストを信じる信仰に導かれ、救われ、パプ テスマを受けました。その日三千人の人々が救われました。 こうしてキリスト教の教会が誕生しました。教会の歴史は、約 2000 年に なります。2000 年間に素晴らしい働きが教会を通してなされました。そして、 教会の活動は今日まで聖霊によって進められてまいりました。 私達は主イエスを信じて、救われ、神の子になりました。一人一人がイエ ス・キリストを信じる決断をして、信仰に入られたのは聖霊の働きです。
III 人を新しくする力
キリストを信じた人々に新しい生活が始まりました。それは神を礼拝し、 神に従う生活です。
また、隣人を愛し、神の愛に生きる生活です。聖霊人の 心を変え、新しい生活に導く.力があります。 2:42 に「 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを 裂き、祈りをしていた。」とありますように、救われた人々は神を敬い、神と 共に生きる生活が始まりました。彼等は、かつては、神を離れ、罪の中に生 活していたかもしれません。しかし今は、神を礼拝し、神の前に敬虔に生き る人になりました。 「使徒たちの教えを守り」。彼等は日曜日に集まり、礼拝をささげました。
そこでは使徒達が勧めの言葉を語りました。救われた人々は、使徒の語るメ ッセージに耳を傾け、それを守り、御言葉を中心とした生活をしました。
「交わりを持ち」とありますが、クリスチャン達は、信徒の交わりを持って いました。
その交わりは常に神を中心とした交わりでした。クリスチャンは、 一人ではなく、教会の交わりの中で、信仰生活を送っています。そこでお互 いが語り合い、祈りあい、助け合い、励ましあっています。主にある愛の交 わりの中に、私達は生かされています。
「パンを裂き」とは、聖餐式を指していると思います。主は最後の晩餐のと きに、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて「これ は、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれ を行ないなさい。」と言われ、聖餐式を定められました。
「祈りをしていた」とありますが、彼らはよく祈りました。使徒の働きに は、祈りについての言及がしばしば出てきます。祈る教会は成長します。 さらに、聖霊は彼らの心に神の愛を注ぎました。聖霊は愛の神です。救わ れて、聖霊が働かれる時、教会の中に愛が生まれてきます。
使徒 2:44-46 に、愛の共同帯としての教会の姿を見ます。
クリスチャン 達は「みな一つになって、一切の物を共有し、」ていました。「財産や所有物 を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配してい」ました。「毎日心を 一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をとも にし」ていました。
聖霊によって、心に神の愛が注がれ、愛は行為として現 れます。
聖霊による聖さと愛に生きていたクリスチャン達は教会外の人々に良い影 響を与えました。
47 節には、全ての民に好意を持たれ、と書いてあります。 人々はクリスチャンに好意を持ち、そして私もあのようになりたい、あの交 わりに加わりたい、救われたいと、日々教会に集まる人々が起こされ、主イエスを信じる人々が加えられてまいりました。
神が私達にも、聖霊を満たして下さるように祈り、待ち望みましょう。
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