「人の子が来たのは」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 ルカの福音書19:1-10 


 主イエスは神の独り子でしたが、私達が住む世界に、人としてお生まれになりました。主イエスの降誕には理由、目的があったはずです。何のために神の独り子イエス様はこの世界に来られたのでしょうか。この質問に、主は「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と答えました。


 Ⅰ ザアカイの求道  

「それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。」(1-2) 

エリコはエルサレムの東北東27Kmにある町です。そこは主要幹線街道の交差する交通の要でした。多くの隊商が商品を運んでこの町を通りました。 

ローマ政府はこの町に取税所を設け、ここを通過する商品に関税をかけていました。ザアカイはこの取税所の頭で、彼は金持ちでした。 取税人は、ローマ帝国の税金を取り立てる役人の事です。取税人は同胞のユダヤ人に憎まれていました。ザアカイは若い時、幸福に生きるために、富と出世を求めた事でしょう。その両方を手に入れる一番の近道は取税人になる事でした。やがて彼は取税所の頭になり、金持になりました。彼は地位と富が幸福を齎すと夢見ていました。しかし彼の地位と富は、彼の心に幸いをもたらしませんでした。心にあったのは、孤独感、虚しさ、心の渇きでした。  

彼は主イエスの噂を聞いていたと思います。もしかしたら主イエスは来るべき救い主ではないだろうか。主イエスによって私が求めている真の幸いを見つけ、私の人生は変えられるのではないだろうか。主イエスにお会いしたい、その願いは彼の心の中で強くなっていきました。  

主はエルサレムに向かう旅の途中、エリコをお通りになりました。ザアカイはこの時を逃したら、主にお目にかかる機会を失うかもしれません。彼は主イエスがどんな方か見ようと、町に出ていきました。しかし群衆にさえぎられ、また背が低かったので、主を見る事が出来ませんでした。彼はいちじく桑の木に登り、主イエスがお通りになるのを待ちました。


 Ⅱ 失われた人を捜して  

主イエスは失われたものを尋ね出してと言われました。失われたものとは、神から離れた人と考えられます。その人は、人生の道で迷子になっています。  

神と共に生きる、それが、人が生きる場所です。神は天のお父様です。神の御心によって、私達は生を受け、神の恵みによって、今日まで守られてきました。人間の心の喜び、希望、平安の保証は神です。私達のいるべき場所は、神の御元です。神から離れた心には孤独感、空しさがあります。人がいるべき場所は神の御元で、神様から離れている人は迷っている子どものように、失われている人です。主イエスが、「失われている人を探して」と言われたのは、このように神を離れ、神の国への道から迷い出ている人です。神から離れ、魂のホームである神の家に帰る道を知りません。

また聖書は<神は人の心に永遠への思いを与えられた>と書いてありますが、天国にいける希望がありません。そのために死は恐ろしく、最終的に人が帰る 家を持っていません。 人を神から離しているものは、神に対する罪です。神と私の間に罪があるならば、神が見えません。人は神が分かりません。神がいないからではなく、罪が神の姿を隠しているのです。聖書は神の前には、すべての人が罪人であり、神から離れ、失われた者と教えています。主イエスは、神の子でしたが、失われた人々を救うため人となって世界に来られました。そして、神と人を話している罪から救うために人となってこの世界に来られたのです。  

神に対する罪は、罪の無いものが罪人に代わって命を犠牲にする事によって、罪を贖う事が出来ます。旧約時代、人々は罪の贖いのために、牛ややぎ等を祭壇にささげて、罪の赦しを祈りました。けれども動物の犠牲は、罪を償う事は出来ません。動物ではなく、罪のないきよい神の御子が、全ての人の罪のために十字架にかかり、命を犠牲にして、罪を贖って下さいました。私達は主の犠牲によって罪を赦していただき、罪がない者となる事が出来ます。救いは神によって罪が赦され、神から義と認めていただく事です。


 Ⅲ ザアカイの救い  

主イエスはザアカイのいるいちじく桑の下で足を止め、上を見上げ「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今夜、私は貴方の家に泊まる事にしてあるから。」と言いました。彼は大喜びで木からおり、主を家にお迎えいたしました。彼は主イエスを家に迎えただけでなく、主を信じ、心に迎えました。  

信仰とは、・認める事です。・受け入れる事です。・信頼する事です。ザアカイは主イエスの声を聞き、木から降り、自分の家に主イエスを迎えました。ザアカイは主イエスを家に迎えただけでなく。主イエスを救い主として認め、信頼し、心に迎えました。彼が主イエスを信じた時、救われました。  ザアカイは主イエスを家に迎え、そして自分の友達や家族を招いて、晩餐をいたしました。そしてその席で彼は人々の前で、信仰を告白して、言いました。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」  

ザアカイは主イエスを信じて救われました。そして彼のは変わりました。彼は財産を貧しい人達に施す事、そして不正に取り立てていた税金は、4倍にして返す事を誓いました。ザアカイの冷たい心は愛の心に変わり、だます心は正しい心なりました。ザアカイが財産の半分を貧しい人たちに施し、また不正に取り立てていたお金を4倍にして返したならば、彼は富を失います。しかし彼は救われ、富に勝る宝を得ました。彼は本当の幸いは何かを知り、それを得たのです。  

主イエスは、失われている人を探して、救うために来て下さり、十字架の道を歩んで下さいました。私達もかつては失われている者でした。しかし主イエスは私達を探し出して下さり、救って下さいました。もしまだ神から離れている方がおられますなら、主に近づき、主イエスを心に迎えて下さい。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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