「イースターの喜び」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 ヨハネの福音書20:19~29


 Ⅰ 弟子達の喜び  

主イエスが十字架にかかり、墓に葬られた時、弟子達はどんなに大きな悲しみ、失望と落胆があった事でしょうか。弟子達にとって、主イエスは望みでした。彼らは家族を離れ、職業を捨てて、主に従いました。しかし主は死に、彼らの前からいなくなりました。彼らの希望は消え、絶望の淵に落とされました。主を十字架の死においやったユダヤの指導者達は私達を捕らえ、処刑するかもしれない。弟子達は悲しみと恐れの中に、戸を閉じて隠れていました。  

主イエスが埋葬されてから三日目の日曜日の朝、弟子達が理解できないことが次々と起こりました。数人の女性達が墓に言ったところ、主イエスのお体がないと報告しにきました。さらにマグダラのマリアは、主イエスは復活しました。私は主イエスを見たのです、というのです。  

その日曜日の夕方、戸が閉めてありましたが、主イエスは、中に入ってこられ、弟子達に現れました。「平安があなた方にあるように」と言われました。そして十字架の傷が残っている手を見せ、また槍で刺された脇腹の傷跡を示して、十字架にかかられたけれども、三日目に復活された事を示されました。 

「弟子達は主を見て喜んだ」と書いてあります。主イエスの死は弟子達に深い悲しみを与えましたが、復活の主の顕現に触れた弟子達の悲しみ・絶望・恐れは喜びに変わりました。この後、弟子達が通ったのは、迫害時代でした。しかし力強く、いつも希望を持って福音を伝えたのは、復活の主にお目にかかったという出来事があったからです。主は復活しました。甦り、今も生きている救い主です。主の復活の出来事は、深い悲しみを、大きな喜びに変えます。  

ロマ4:25に 「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」と記されています。命を犠牲にして助けてくれても、死んだなら、生きている人に助けることができません。キリストは十字架にかかり死にましたが、復活しました。甦り、今も生きていて私達を救うことが出来る救い主です。イエス・キリストは復活し、今も生きているので、あなたもキリストを信じるならば、赦され、神から義と認められます。神は神の子として迎えて下さいます。


 Ⅱ 復活された主イエスは信じる人と共に歩んでくださいます。  

復活をされた主イエスがガリラヤの山で弟子達に現れたとき、「見よ。私は世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」(マタイ28:20)と約束されました。主イエスは死んだ神でなく、復活をされたお方、生ける神です。そしてそのお方が、いつも私達と共にいて下さると約束されています。 人生には喜びも、悲しみもあります。悩みを抱えて長い間、苦しむことがあります。主イエスは救い主です、主は復活され、今も生きていて、私達と共にいらして下さいます。いかなる中にありましても、私達を守り、助け、祝福し、私達の力になって下さいます。主は私たちに最善を行ってくださり、最善の導いて下さるのです。 人生には、辛い経験、涙を流して祈ることがあるかもしれません。主は今も生きていて、信じる人と、いつまでも共に歩んで下さいます。主イエスはあなたと共にいて、守り、助け、導き、祝福し、最善を行ってくださいます。主イエスがともにいて下さるので、私達の人生は揺るぐ事がありません。 


Ⅲ 甦った主イエスは信じる人々の心の中に住んでくださいます。

 エペソ3:17に「信仰によって、あなた方の心のうちに、キリストを住まわせて下さいますように」とパウロは祈っています。復活した主イエスは、信じる私達の心の中に生きて下さいます。 私達の言葉と行動の源泉は心です。主イエスは心の中にいて、私の言葉、行動の源泉になって下さいます。自分を変えようとしても、自分を変える事が出来ません。しかし主が心の源泉になって下さるので、私は変えられます。  

今まで、自分の事しか考えていなかった人が、隣人を愛して、隣人を思いやる人に変わっていく。それは不思議なことですが、キリストがわたの心の中におられるので、内側から生命的に変えられて行くのです。 結 信じる人になりなさい  主イエスは死んで、葬られ、復活しました。今も生きていて、あなたの救い主です。主イエスを信じ、救い主として心にお迎えになりませんか。  

主が甦られた日の夕方、主は弟子達に現れました。弟子達は主を見て喜びました。

しかしその場に、トマスがいませんでした。弟子達は、「私達は主を見た。」と彼に告げました。

しかしトマスは、「私は見なければ信じない、私はその手に釘後を見、私の指をその釘のところに差し入れ、私の手を脇腹に差し入れてみなければ信じない。」と言いました。他の弟子達が復活の主にお目にかかった喜びの中にある時、独りトマスは寂しい気持ちを抱いていました。  

それから一週間後の日曜日の夕方、再び弟子連が集まっていた部屋に主イエスが入ってこられました。今度はトマスもいました。主はトマスを呼んで、主は傷のついた御手と脇腹を示し、「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私の脇腹に差し入れなさい。」と言われました。そして「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」とおっしゃいました。

 皆様はキリストの復活を信じますか。キリストの復活は、私達に喜びと平安、そして幸いな人生をもたらします。たとい辛いことがあっても、復活されたキリストは、共にいて下さり、困難を超えていく力を与えてくれます。また復活されたキリストは信じる人の心にお宿り下さり、うちから信じる人を造り変えて下さいます。  

主は「あなたは見たから信じるのですか。見ずに信じる者は幸いです。」と言われました。私達は復活の主を目撃していません。しかし信仰によって、主イエスの復活を認め、生きた救い主と信じ、受け入れる事が出来ます。もし不信仰に留まるなら主の復活は何も意味がないものなります。救われる事も、主が共に歩んで下さる事も、あなたには関係ないものとなります。そしてトマスのように、喜びがなく過ごす事になるでしょう。どうぞ十字架にかかり、復活された主イエスを信じ、あなたの救い主として心の中に迎え入れて下さい。そして神の豊かな恵みにあずかる者となって下さい。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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