「新しい人」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 コロサイ人への手紙3:5~11 


 神を信じない社会では、清さとか、正しさを求めません。たとえ社会の傾向がそのようになっても、人が正しく歩まなければいけない。清い心を持たなければいけないということは、決して変わらない基準です。神は「私が聖であるから、あなた方も聖でなければならない。」と言われました。


 Ⅰ 古い人の生活  

9節にある「古い人」とは、キリストを信じる前の生活、また状態です。

その時は、神に属する者ではなく、罪の性質に支配されていました。古い人の行いについて、「殺してしまいなさい」、「捨ててしまいなさい」(8節)と強い言葉が使われています。  

古い人の行いについて、5つのリストが挙げられています。「淫らな行い」「汚れ」「情欲」「悪い欲」「貪欲」です。これらの悪徳リストのほとんどは、生活あるいは心の中に起こる性的な罪です。 

神は男と女を造られ、二人を結ばれました。そして二人を祝福し、産めよ、増えよ、地に満ちよ、とおっしゃいました。結婚は聖なるもの、また神の祝福です。しかし聖霊の支配を離れ、欲望を満たすために、誤って性を用いるならば、恐ろしい罪となります。今日の社会はこの罪に満ちています。

 地上にあるからだの諸部分とありますが、人は体を持っています。そして体を持つ人として、からだの生理的な欲求として、食欲・性欲があります。それらは御霊のコントロールの中で、正しく制御されなければなりません。これらに対して、「殺してしまいなさい」(5節)と命令されています。  

8節に、「怒り」「憤り」「悪意」「そしり」「口から出る恥ずべきことば」そして「偽り」と悪徳のリストが並べられています。

これらの悪徳に対して、「捨てなさい」(8節)、「脱ぎ捨て」(9節)と勧められています。

これらの悪徳は、対人的に起こる汚れです。一日働いて、汗とはこりで汚れた服は入浴をする時に脱ぎます。そして再び、その汚れた服を着ることはしません。  

かつては、世に属する者であり、地上のことを思い、自分を中心として物事を考え、世的な歩み方をしていました。キリストを信じる者は古い人の上に、美しい品性の衣を着ようとして努力するのでなく、これらのものは、殺しなさい、捨てなさい、脱ぎ捨てなさい、と聖書は言っています。


 Ⅱ ですから  

5-11節の段落は、「ですから」という言葉で始まっています。

これ1-4に記されている言葉を受けています。  

神に背き、神に従おうとしないでわがままを通そうとする「自我」、汚れた欲望にひかれていく悪しき性質、愛する事が出来ない罪の性質、それは生まれながらの人には誰にもあります。

しかし、信仰によって、キリストと一つになるなら、その古い人、自我はキリストと共に十字架につけられ、死にました。もし信仰によって、キリストの死と一つになっているなら、キリストが墓から復活したように、キリストの甦りとも一つになっています。罪と汚れ、また欲に生きる古い人は死に、愛と聖と義に生きるキリストの命によって新しい歩みをする者となります。神を見上げ、永遠を見つめて生きるものとなりました。こうして、神を知らない時の古い生き方ではなく、キリストにあって、新しい命に生きる者となりました。  

信仰によって、この恵みに立つ人々に、「上にあるものを求めなさい」と勧められています。  

さらに3:4には、「私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。」と記されています。これは、主イエスの再臨の時に起こる事でしょう。  

主イエスが再臨される時、主にあって眠っている人々は復活します。生きている信仰者も栄光の姿に変えられ、天に上げられ空中で主にお目にかかります。その時に、私達はキリストに似たものになります。その時の素晴らしさは、表現できませんが、私達が思いを越えた素晴らしい事が起こります。 


Ⅲ 新しい創造  

私達が古い人を脱ぎ捨てるのは、新しい人を着るためです。古い人を着たまま、新しい人を上に重ねて着るのではありません。キリストが十字架にかかられた時、私達の古い人も共に十字架につけられました。そしてキリストが甦られたように、私達も神の力によって甦りました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられ、いのちにあって新しい歩みをする者となりました。クリスチャンはこのように新しい人なのです。キリストを信じ、古い私ではなく、新しい私になりました。  

新しい人は、造り主のかたちに似せられて、ますます新しくされました。神は人を創造された方、あなたの造り主です。神が人を神のかたちに似せて造られました。創世記に人の創造が記されていますが、神は神のかたちに人を創造されました。神のかたちとは、外面ではなく、神の性質である、聖、愛、義に似せて、と言うことです。神は神を礼拝し、そして、聖い心を持ち、神と人を愛し、正しい歩みをする者として、人を造られました。  

神の創造の目的にかなって生きる時、人の尊厳と、確信のある人生があります。しかし人は神に背き、罪を犯しました。始めの神のかたちである聖、愛、義から離れ、汚れた心を持ち、自己中心になり、正しい道から離れるようになりました。そしてその道の行き着くところは永遠の滅びです。これが古い人です。この古き人はキリストと共に十字架につけられ死にました。キリストが私のうちに生き下さり、私達は新しい人になります。それは再創造された人になることです。神は再び私達の心の中に、神のかたちを創造して下さるのです。古い私を持ったまま、自分を変えようと奮闘することではなく、神が私達の心をきよめ、私達の心の中に神の愛を注いで下さいます。こうして、私達は神の創造の目的にかなった人間の姿へ回復されます。そしてキリストに信頼し、キリストと共に生き続けていく時、神のかたちに似せられて、ますます造り変えられていくのです。  

神様が自然を創造された時、美しく、調和の取れた世界を造りました。そこに人は手を加え、自然を良くしたのではなく、汚し、破壊してきました。神様が創造された被造物の中で最も美しく優れているのは人です。人は神のかたちに似せて創造されました。しかし不信仰と罪は人の美しさ、気高さを奪いました。神を捨てた現代の社会は罪に満ちています。けれども神を捨てた人々を神はなお愛し、そして回復させようとしています。神はキリストによって再創造し、新しい人として下さるのです。そして、神のかたちに似たものとなるように、新しくされ続けていくのです。このような恵みが約束されているのですから、古い人の行いを殺し、その生き方を脱ぎ捨てて、新しく造られた者として生きていきましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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