「美しい品性の衣」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 コロサイ3:12-14 


私達は美しいものに魅力を感じます。ジョン・バイャンは、神が創造された世界で最も美しい者は、聖潔の美しさに輝く男女だといいました。被造物の中で最も美しいものは、心がきよめられ、品性の衣を身につけた人々です。

 

Ⅰ 新しく造られた者は  

キリストと共に生きる者となった人について・・・・

 ①神に選ばれた者  神に選ばれた人とは、神との契約にあずかった人です。旧約時代、割礼という儀式がありました。割礼を受けた人は神との契約の民であり、神に選ばれた人でした。その人は神にとって、私の宝、祭司の王国、聖なる国民となる、と言われました。彼らが選ばれた者と呼ばれるためには、律法を守らなければなりませんでした。始めに契約に与かった民は律法を守る事が出来ませんでした。そこで、神は古い契約を廃棄し、新しい契約を結ばれました。  

新しい契約では、神の御子イエス様が罪の贖いとして十字架にかかって下さり、神に対する罪を悔改め、十字架にかかり、甦られたイエス・キリストを救い主として信じるならば救われ、神の民となると神は約束されました。このように、主イエスを信じる者が神との契約にあずかり、選ばれた種族、聖なる民、神の所有とされた民、神の民となる事が出来ます。ですから、イエス・キリストを信じた人々は神に選ばれた者、神の民なのです。

 ②聖なる者  聖なる者とは心がきよめられ、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神を愛する、そして自分を愛するように隣人を愛する心を持った人です。 信仰によって、キリストが心の中に生きて下さり、新しい人となります。自分で自分の心を清くする事は出来ません。しかし、キリストによって、罪の性質からきよめられ、聖なる者となりました。 

③愛されている者  神は私達を救い、きよめるために、御子を世に遣わし、十字架につけ命を犠牲にされました。神は私達の理解を超えた犠牲を払い、私達に対する愛を現わして下さいました。その犠牲により、私達に対する神の愛を知りました。  

さらに、神の御心を行おうとして生きている人々に対する神の愛は、喜びを持って愛する愛です。神は御子イエス様について、「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」と言われました。父なる神の御心を行うために生涯生きられた御子イエス様は、父なる神にとって、愛の対象であり喜ぶ者でした。神は、神の御心を行い、神を愛して生きている人々に、イエス様に注いでいたと同じ愛を注いでいます。その人は神に愛されている人です。 


Ⅱ 品性の衣

 ①深い慈愛の心(同情心)  ここで、<心>と使われている語は、元来、「はらわた」という意味の言葉でした。そこは感情の宿るところと考えられていました。他人に対する愛情、愛する人との交わりを求める願望の愛が宿るところが心です。  

深い同情心は主イエスのうちにあったものです。そしてその愛がパウロの心にも注がれ、彼はキリストの愛をもって、教会に仕え、信徒を愛しました。 ローマ12:15には、「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。」と記されています。隣人の喜びを自分の喜びとして、共に喜ぶ、隣人の悲しみを自分の事のように、共に悲しむことが出来る心、それは深い慈愛の心からうまれます。 

②親切(慈愛)  この言葉は、元来、使いやすさ、有用性を表します。そこから道徳的な意味で優秀性、誠実性を意味しています。この語が神と結びついた場合、慈しみです。また人に適用した場合、慈しみ、慈愛、誠実、親切等となります。  

多くの親切は気が付かないかもしれません。また忘れられていきます。しかし、親切な人は、親切が、使いやすさ、有用性を表しているように、やがて周囲から信頼される。役に立つ人となるでしょう。

 ③謙遜  これは単なる丁寧さでなく、心から自分をとるに足りないものだと思う事、また控えめな自己評価です。生まれつき人間の心には、傲慢があります。けれども神の前では、だれも誇る事ができません。私達は罪人です。ただキリストの十字架の功しによって救われ、神の子になったにすぎません。謙遜はクリスチャンの美しい衣です。謙遜な人の心に、神の恵みは注がれます。 

④柔和≫ 柔和には、友好性、優しさがあります。イサクは柔和な人でした。彼は争わず、敵をも祝福しました。彼は神から祝福を得、繁栄しました。 主イエスは、「柔和な人は、幸いです。彼らは地を継ぐからです」と、約束されました。人は不正、また悪意ある行為に対して、腹を立て、正義を通そうとしますが、柔和な人は、腹を立てず、争いません。好ましくない人にも優しく接し、祝福への道に導びこうとします。 

⑤寛容  寛容は、耐え忍ぶこと、気長、爆発しやすい心を抑えることです。人はそれぞれ、性格、考え方、習慣などの違いがあります。又弱さや欠点を持っています。それが気になったり、嫌悪を感じる事があります。また他の人の傲慢な態度に、我慢できない事があります。  

私達は他の人の欠点を見ます。しかし自分も欠点の多い人間です。寛容は他の人の弱さ、足りなさ、性格の好ましくない事を忍びます。もし他の人に不満を抱く事があっても赦す、好意を示します。

私達が神に対して犯してきた罪と比べたならば、他の人が私達に不満を抱かせるような行為は、小さな事です。主が赦して下さったのですから、私達も他の人を受け入れましょう。  

最も美しいものは、聖潔に輝く聖徒です。キリストが私の心の中に住んでくださり、新しい命に生きる者となりました。その上に、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を身につけ、完成目指して、歩み続けて行きましょう。美しい品性の衣を身に着ける、神の民とならせていただきましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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