牧師 新澤昭彦師
聖書箇所 コロサイ人への手紙3:12-14
私達は主イエスを信じて、神と共に歩む新しい生活が始まりました。
そして、今までになかった、教会の一員としての生活が始まります。
日曜日に教会に集まって神を礼拝し、信徒の交わりを持っています。私達は一人で信仰生活を頑張っているのでなく、私達を愛し、そして、陰で祈っていてくれる信仰の家族がいます。礼拝では、心を合わせて、讃美し、神を礼拝し、また共に語り合い、共に奉仕しています。教会での交わりによって、慰められ、励まされ、神の恵みで心が潤されます。その教会の交わりの中で、「互いに忍耐し合い、…、互いに赦し合いなさい。」(3:13)と聖書は教えています。
Ⅰ 赦しの必要=互いに赦し合いなさい
「互いに赦し合う」事は聖書の教えで、豊かな生活をするためには欠かす事が出来ません。主もしばしば他の人を赦す事について語られました。
主イエスは、「気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」(ルカ17:3-4)と言われました。一日に7度赦すとは、1、2、3、と7回数える事ではなく。7は完全数ですので、完全に赦す事を主イエスは私達に教えています。
赦す事は、とても大切な事です。以前、保恵キリスト教会で、牧師をしていた時、牧師の執務室は、幼稚園の園庭に面した2階にありました。園庭から、「いれて」と「いいよ」という子ども達の声が聞こえてきます。この言葉をかけ会いながら、子どもたちは仲良く楽しく遊んでいます。誰も仲間外れになる子供はいません。もう一組の言葉があります。「ごめんね」と「いいよ」です。友達を泣かしてしまった時、「ごめんね」と言って謝り、泣かされた子供は、まだ涙を目に浮かべながらですが、「いいよ」と言って赦してあげます。こうして、再び手をつないで遊び始めます。
赦すという事は、人間関係を持つ上で、大切です。子ども同士ですから、けんかをする事があるかもしれません。けれども、ごめんなさいとお詫びをする、そして、赦してあげる事によって、仲良くなる事が出来ます。
人間は、不完全ですから、失敗したり、足りなかったり、約束を忘れたり、損害を与えたり、あるいは誤って、他人を傷つける事があるかもしれません。もし私が、隣人に不利益を与えた場合、私がとるべき態度は、へりくだって、お詫びをして赦しを求める事です。
もし、隣人に誤り、道徳的に正しくない行為があるならば、戒める、警告するでしょう。隣人が誤りに気が付き、悔い改めるならば、主イエスは、「悔い改めれば、赦しなさい。」と教えられました。素直に罪、過ちを認め、悔い改めて、お詫びする。そして、赦す事によって、暖かい交わりを保つ事が出来ます。赦す事によって、平和を保つ事が出来ます。 社会で、夫が妻を敵と言ったり、妻が夫を粗大ごみ呼ばわりする事があります。そしてお互いの些細な事で反目しあって、赦せない事があります。赦せないならば、交わりを持つ事が出来ません。そして人との暖かい交わりを持てませんから、心に喜び、潤いを持つ事が出来ません。 「ごめんなさい」と詫びる事、「いいよ」と言って、赦す事は些細な事かもしれません。けれども潤いのある生活をするためには、お詫びする事と、赦しは欠かす事が出来ません。「互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。」と聖書は教えています。
Ⅱ 赦しの前提=主が赦してくださった。
「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」と、互いに赦し合う前提として、キリストによる赦しが書かれています。
人は神の前に罪を犯しました。そのために、神がわからず、神との交わりがありません。神は赦しの神です。神は罪を赦すために御子イエス・キリストを世界に遣わし、人々の罪を赦すために、御子イエスを十字架につけられました。十字架にかかられた、主イエスを信じるならば、赦され、神との和解を受けます。私達が神に対して犯してきた罪は払い切る事が出来ない負債です。しかしそのすべての罪の負債をキリストは十字架の上で負って払い、赦して下さいました。私達は罪を悔い改め、キリストを信じる信仰によって、主の十字架のゆえに罪の負債は赦され、義とされ、神の子となりました。
主の祈りで、私達は、「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、われらの罪をも赦したまえ」と祈っています。主の祈りに続いて、「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しになりません。」と主は言われました。神が罪を赦し、永遠の命を与えて下さいましたのに、もし赦さないならば、神も私達を赦す事が出来ません。神が私達を赦して下さいました。ですから、他の人の罪、過ち、失敗、欠点を赦しましょう。
赦す事は小さな行為です。しかし赦す事からくる祝福は決して小さな事ではありません。私達は人との関係の中に生活しています。嫁と姑、親と子、夫と妻、兄弟、友達、近所、上司と部下、教師と生徒、いろいろな人間関係があります。少しの行き違いで、対人関係を悪くして、生きづらくなる事があります。教会は神の国の雛型です。神の愛によっての交わりがあるところです。
小さい群れですが、誰でもキリストを信じる信仰により、神の家族の一員となり、教会の交わりに加わります。私達はいろいろの違いがあります。ともに教会生活をする中で、失敗・誤りがあるかもしれません。もし気が付いたならば素直に詫びる、そしてお互いが赦す事がどんなに大切でしょう。
赦しは小さな事に見えます。しかしそのささいな事が豊かな交わりを持つために欠かす事が出来ません。互いが赦しあうならば、花園が広がるように、神の恵みが注がれて、恵まれた教会、明るい家庭となるでしょう。
互いに忍耐し合いましょう。だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、主があなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いましょう。
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