「愛は結びの帯」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 コロサイ3:12~14


 Ⅰ すべての品性は、愛によって結ばれている、  

深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容、そしてお互いに赦す事が出来るのは、愛から生まれるものですし、「愛は結びの帯として完全です。」と記されていますように、愛はすべての品性を結ぶ帯です。  

深い慈愛の心、親切は神の愛から生まれます。イエス様の心は、愛で満ちていました。苦しむ人をご覧になり、主は深く憐れんで、苦しみから解放されました。神の愛に満たされていたイエス様から、深い慈愛の心、同情があふれ出ています。イエス様は聖霊によって、信仰者の中にお宿り下さっています。神の愛が私達の心にも注がれ、慈愛の心を持ち、また、親切な行為になって現れます。慈愛、親切は行為として現われます。しかし愛がそこに伴わないならば、形だけになって、隣人を助ける力になる事が出来ません。  

謙遜について、聖書は、「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。」(ローマ12:10)と教えています。謙遜は、神の前にへりくだり、そして隣人を愛し、他の人を自分より優れたものとして尊敬する事に結びついています。謙遜な人は、他の人の立場を尊重し、他の人を愛する人となるでしょう。  

愛がなければ、対人関係で、柔和、寛容になる事が出来ません。人はそれぞれ、性格、考え方、習慣などの違いがあります。又弱さや欠点を持っています。その違いを越えて、柔和にふるまい、寛容になる事が出来るのは愛があるからです。  

3:13節では「互いに赦し合いなさい。」と記されています。主イエスは、「気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。」(ルカ17:3-4)と教えています。

主イエスは、「かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」と言われました。人間は、不完全ですから、失敗したり、足りなかったり、約束を忘れたり、損害を与えたり、あるいは誤って、他人を傷つける事があるかもしれません。それでも赦す事が出来るのは、隣人に対する愛があるからです。


 Ⅱ 結びの帯の役割  

帯を結ぶ事によって、行動が自由になります。帯で結ばなければ、下着や上着がバラバラになって、行動が妨げられます。帯は行動に自由を与えます。又帯を結ぶ事によって、力を出す事が出来ます。若いころに肉体労働した事があります。その時に、しっかりバンドを閉めると、腰が安定して、力を出す事が出来ます。又帯は美しく整える役割があります。もし帯を締めないならば、だらしなくなり、美しさを損ないます。  

愛は結びの帯として、完全なものです。帯がなくてならないように、愛は大切な働きをします。深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容が愛と結びついているならば、クリステャン生活と行為に自由と力を与え、また神の栄光に輝くクリスチャンと変えていくのです。


 Ⅲ 愛の生まれるところ  

愛される事は、人の成長の過程で大切な事です。子ども達にとって、愛されて育てられたという事が、人格形成の上で、欠かす事が出来ません。愛の豊かな人となるために、愛されるという事は大切です。あなたは愛されていますか。たとえ両親、家族や、友達から愛を受ける機会がなかったとしても、あなたは神様から愛されています。12節に「ですから、・・・愛されている者として、」と記されています。神様から愛されているのです。私達は愛されている。そして神に愛されている、その恵みの経験が豊かなほど、隣人を愛するクリスチャンになる事が出来るでしょう。  

神はあなたに、どんなに大きな、愛してくださった事でしょう。神は天から御覧になり、あなたを祝福したいのです。あなたを救い、心をきよめるために、御子イエス様を世に遣わし、十字架につけ命を犠牲にされました。神は理解を超えた犠牲を払い、私達に対する愛を現わして下さいました。  

神のあなたへの愛を感じていますか。神の愛から漏れる人はいません。しかし、ある人は神の愛を感じません。神があなたを愛している。それは事実ですが、キリストの十字架は私のためだった。神が私を愛している。それを受け止める事が出来るのは、信仰です。「神に近づく人は、神がおられる事と、神を求める者には報いて下さる方である事を信じなければならないのです」。神があなたを愛しています。愛されているのに、無感覚でなく、信仰をもって、神がいます事、神が私を愛している事、神が私達を救い、永遠の命を与えるために、御子の十字架という犠牲を払って下さった事を信じ、愛されている事を受け止めましょう。  

ここに記されている「愛」はギリシヤ語のアガペーです。これは神の愛です。愛以外の不純物を含まない純粋な愛、愛故の愛です。神はその愛の故に、私達を守り、祝福して下さいます。また愛の故に、罪人である私達を赦すために、御子イエスの十字架という大きな犠牲を払って下さいました。私達は愛される価値があったから神に愛されたのではなく、神は愛故に、私達を永遠の祝福をもって祝福するために愛していらっしゃるのです。  

その愛の源泉は神にあります。第一ヨハネ4:7に、「愛は神から出ているのです。」と記されています。愛の源泉は神にあって、神から信仰者の心に神の愛は注がれます。ローマ5:5 には「なぜなら、私達に与えられた聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれているからです。」とあります。ペンテコステに、聖霊が弟子達の上に降りました。弟子達は聖霊に満たされました。聖霊は今も働いています。キリストを信じる人と共にいます。またうちに住んで下さいます。聖霊に満たされ、聖霊によって、神の愛が注がれます。こうして、神の愛をもって、私達は愛を実践する事が出来ます。  

完全な結びの帯は愛です。慈愛、親切、謙遜、柔和、寛容が別々のものとして、存在するのでなく、愛によって一つに結ばれています。品性が愛から生まれ、愛によって整えられ、輝いたクリスチャン生活を過す事が出来ます。  

イエス・キリストを堅く信じ、神と共に歩み続けて行きましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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