「感謝の心を持つ人」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 コロサイ人への手紙3:15-17

 Ⅰ 感謝は神の恵みに対する応答 

感謝は、人から受けた好意、親切、励まし、助け、贈り物などに、ありがたいと思って答える御礼のことば、という事が出来ると思います。人から受けた好意、助けに感謝を表す事は大切です。けれども、何よりも私達は、神の恵によって命が与えられ、今日まで生きてまいりました。その神の恵みに対する私たちがなすべき事は感謝です。  

神の恵みに対する応答としての感謝を詩篇106篇より考察しましょう。  

神はイスラエルの民に対して、いつくしみ深い方でした。その深い慈しみと恵みのゆえに「主に感謝せよ」と勧められています。神の深い慈しみと恵みはイスラエル私達に向けられています。  

106:1に、「ハレルヤ。【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と讃美されています。  

神は神を啓示するためにイスラエル民族を選ばれました。そして、「あなた方は私にとって、祭司の王国、聖なる国民となる」と祝福を約束し、契約を結ばれました。その契約は、民が、神の声に聞き従い、契約を守る事によって、受ける事が出来ます。神はイスラエルの民が神から祝福を受ける事を期待し、神が選ばれた民が喜んでいる事が、神の喜びでした。  

けれども6-7節に記されているように、彼らは不信仰に陥り、神を忘れ、罪を犯し、不義を行い、悪を行い、葦の海(紅海)で神に逆らいました。  

8節に 「しかし」とありますが、彼らの不信仰、罪、不義にもかかわらず、神は、御名のゆえに彼らを救われました。モーセが紅海の上に杖をあげると、強い東風が吹いてきて、乾いた地が現れ、民は紅海を渡る事が出来ました。  

神は彼らを危険から助け救い出しました。彼等は神の恵みを受け、神の力を見たのです。しかし彼らは神のみわざを忘れ、主の御言葉を心にとめ、従う事を望みませんでした。

13-43節には、40年の荒野でのイスラエルの民の、不信仰、不従順、不義、偶像礼拝、悪習慣、異邦人の女性と姦淫の罪等々、彼らはの罪が列挙されています。彼等はかたくなにし、神に逆らいました。  

44節には、「それでも」と記されています。不信仰と、偶像礼拝、罪と不道徳の民ですが、彼らが苦しむ時、神は彼らの叫びを聞き、主は彼らの苦しみに目を留められ、そして苦しみから彼らを救い出しました。  

あのように罪深く、幾度も神を裏切る民をどうして神は救い出されたのでしょうか。それは、神は豊かな恵みにしたがって、という事です。  

恵みとは値しない者に与えられる神の顧みの行為です。イスラエルは神から愛され、祝福を受ける資格はありません。神の言葉に従わない、不信仰で、罪深いでした。しかし、神は愛される資格がない民を愛し救われました。「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」。神に感謝するのは、民に対し、憐みを示された、神の恵みの故です。  

神は全ての人に対して恵み深い方です。私達がまだ神を信じない、罪人であった時、神は私達の罪を赦すために、神の独り子イエス・キリストを罪の贖いとして、十字架にかけ、犠牲といたしました。神がそのように犠牲を払われたのは、私達を贖い、救うためでした。私達の罪を赦し、神の子供とし、永遠の命を与えるためでした。  

コロサイ3:16に、「感謝をもって、心から神に向かって歌いなさい」と記されています。この箇所の「感謝」はギリシャ語「カリス(恵み)」です。ですから直訳すると、「恵みのうちに、心から神に向かって歌いなさい」となります。私達が感謝するのは神の恵みによります。神様は愛される資格がないものを愛され、恵みによって神の豊かな祝福に入れて下さいました。  

不信仰、また罪の中に生きていた時、神は慈しみの目を持って私達を見つめ、そして恵の中に私達を導いてくださいました。私達をさばきくのでなく、御子イエス様の犠牲、神の愛の故に私達を救って下さいました。神の恵みを心にとめ、感謝の心を持つ人になりましょう。 Ⅱ神が求めている礼拝は感謝  

神は人に何かを求めたり、何かをしてもらおうとしていません。神が求めておられる事は、神の恵みに対して心から感謝する事です。  

神は愛される資格がないものを愛して下さり、神の子とし、永遠のいのちを与えて下さいました。神は汚れていた私達の心をきよめて下さいます。 私たちが今日まで生きてきた事は、神様の恵みによってである事を忘れてはいけません。私達は自分の力によって生きてきたのではなく、神の恵みに支えられて生きてきたのです。数え上げたら、きりがないほど神の恵みと愛によって、支えられ、助けられてきました。その恵みや、愛の行為に対して、応えていくものが感謝です。神が求めているものは、神の恵みに対する応答としての感謝です。感謝が人の心を豊にするのです。  

主イエスがエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られました。ある村に重い皮膚病にかかった人たちが住んでいました。十人の重い皮膚病の人たちが、主イエスのあわれみを求めて、と叫びました。  

主イエスはその叫びに応えて、「自分を祭司に見せなさい。」と言いました。彼等は祭司の所に行く途中で癒されました。そのうちの一人が、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、 主の足もとにひれ伏して感謝しました。  

それを見て、主は「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」と言われました。  

神様の大きな御業により、10人の人が癒されました。イエス様の恵と力によって、癒され、人生が変わったのです。これほど大きな恵を経験していながら、恵に答えて、感謝をするために戻ったのは、一人でした。  

神は恵み深い神です。その恵みによって、私達は生かされ、潤いのある生活を送らせていただいています。恵みをいただいていながら、感謝をする人が少ないのです。願い事はたくさん神に祈ります。

しかし感謝が少ないのです。神が求めている事は感謝です。感謝の心を持つ人になりましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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