「祝福された家庭」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 コロサイ3:18-21

 Ⅰ 祝福された人生の基礎  

人は一人で生きて行くのではなく、生涯、人との関係をもって、生きています。様々な集団の中で、交わり、協力し、助け合い、愛し合い、ある時には従い、生きています。人生で初めに出会う集団は家庭です。そして、友達、幼稚園、学校、職場、地域、国家等、多くの集団に関係して生きています。  

神は初めの人アダムを創造し、ふさわしい助け手として、エバを作られました。神は男と女に造られ、人は父母を離れ、妻と結ばれ、一体になると教えられました。ですから幸いな家庭を持つために、神を信じ、共通の信仰の上に家庭を築く事が大切です。結ばれた二人は、性格、興味、問題解決の方法等々、多くの相違があります。その違いを越えて、一つになれるのは、神の愛の故です。神の愛と正しい信仰は違いを越えて、二人を一つにします。そればかりか、違いゆえにお互いが助け手となり、成長する事が出来ます。  

やがて家庭に子どもが与えられます。子どもが初めで出会う集団は家庭です。両親の愛情の中で育まれ、兄弟と一緒に遊んだり、勉強を見てもらったり、時には喧嘩もします。我慢をしなければならない事もあります。家庭の中で、愛すること、愛されることを経験し、人格的に成長します。  

家族の関係は生涯続きます。祝福された人生を送るために家庭の役割は多大です。ヨシュアは「私と私の家とは、主に仕える」と言いました。信仰と愛を基盤として、神を中心とする家庭を築いてまいりましょう。


 Ⅱ 聖書の勧め  

聖書は家庭について何を教えているでしょうか。コロサイ3:18-21に、家族のあるべき姿が、教えられています。妻達に、夫に従いなさい(18)。夫達に、妻を愛しなさい(19)。子ども達に、両親に従いなさい(20)。父たちに、子ども達を苛立たせてはいけません(21)。と勧められています。  「夫に従いなさい」。この服従は、身分の違いでも、義務的な服従でもありません。信仰と愛のゆえに従う服従です。男性も女性も、神の前に人格は平等です。能力では、男性が優れていて、女性が劣っているという事はありません。そればかりか、今、世界では、女性が国家のリーダーになっている国々が多数あります。それでも聖書は、妻達に夫に従いなさいと教えています。  

妻が優秀で、能力も社会的な地位があっても、夫に対立し、子供の前で夫婦が絶えず口論しているなら、祝福された家庭を築く事が出来ません。従う事は地位や、どちらが偉いかという問題ではなく、聖書は夫に従いなさいと教えています。夫に従う女性によって、家庭は保たれ、神に祝福されるでしょう。聖書の基準に従うなら、家庭は祝復され、妻は、彼女でなければできない、素晴らしい働きをするでしょう。  

夫には、神の御心に従い、正しく家庭を治めなければならない責任があります。また、夫に対して、妻を愛しなさいと命じられています。エペソ5:25 には「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」と書いてあります。キリストは私達を贖うために、十字架にかかり命を犠牲にされました。愛する者が祝福され、平安に過ごす事が出来るために、自分の命、自分自身を犠牲にする愛です。  

子どもたちには、「両親に従いなさい。」(20)、父たちには、「子どもたちを苛立たせてはいけません。」(21)と勧められています。申命記6:45-6に、「主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。」と戒めがあります。

イスラエルの家庭では、毎朝、家拝が持たれ、この戒めが読まれていました。そして父親は神を愛し、神の御心にかなった歩みをするように子ども達を訓育しました。子ども達はその教えを聞き、両親に従うべきです。父親は御言葉に従って、子ども達を愛して養育すべきでした。聖書が教えている通りにするなら、祝福された家庭を持つ事が出来るでしょう。 


Ⅲ 神に慈しみ  

聖書の教えに従っていくなら祝福された家庭を持つでしょう。しかし地上で生活をしている私達は理想的に生きる事が出来ません。神を離れた社会では、ドメステックバイオレンス、児童虐待、家庭内暴力、不倫などが問題になります。離婚する家庭も増加しています。かつて私達もその社会に生きていました。未信者の時代に起きた出来事が今も痛みとなっている場合があります。また信仰を持って後にも、私達は弱い人間ですから、御言葉の通りにできないで、祝福を逃す事があります。過去に引き返してやり直しが出来れば、と思っても、過去に戻る事は出来ません。聖書は、「それぞれ自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。」(第一コリント7:20)と書いてあります。

これは信仰を持った奴隷について勧めている言葉ですが、今ある状況を変えることが出来るなら、神の助けをいただき、神の喜ばれる生活をするように努力しなければなりません。しかしそれが出来ない事情は多いです。  

神様は今の姿を見て、責める方ではありません。もし私の不信仰と失敗のために、祝福された家庭を築く事に失敗していたとしても、神は憐れみ深い方で、神は心の痛みを知り、あなたを愛し、恵みを与えて下さいます。  

詩篇68:5に「みなしごの父やもめのためのさばき人は聖なる住まいにおられる神。」と記されています。どのような事情で、みなしご、やもめになったのか分かりません。戦争、病死かもしれません。その他の事情が負ったのかもしれません。いずれにしても、祝福された家庭を持てず、今の状況を受け入れて生きて行かなければなりません。彼らに、神は、「みなしごの父」「やもめのさばき人」と言っています。神がさばき人ということは、罪を責める人でなく、傍らに立って弁護して下さる方という事です。  

イエス様が伝道された時、周りに集まってきたは、やもめ、また社会から見捨てられている人々でした。イエス様は彼ら受け入れ、愛されました。  

イエス様を仰ぎましょう、神は私達のお父様です。イエス様は私達の花婿です。私達は神の子で、神の家族なのです。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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