「何をするにも」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 コロサイ人への手紙3:22-4:1 

 3:22-4:1には、奴隷と主人の主従関係について記されています。パウロがコロサイ人の手紙を書いたのは、今から1950年前です。その時代の文化、環境、社会生活の背景の中で書かれ、今の時代にはあわないと思われる記述があります。しかし私達の生活の基準は聖書です。聖書は永遠に変わりがない神のことばです。聖書から神は私達に語り掛けています。そのまま、今の時代に適用できないかもしれませんが、時代背景を考え、また聖書全体を思い巡らし、神が命じているのは何か、御言葉を正しく理解しましょう。


 Ⅰ 聖書の原則  

22節に「 奴隷たちよ、すべての事について地上の主人に従いなさい。人のご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れつつ、真心から従いなさい。」と記されています。ここに、奴隷と主人の関係が出てきますが、今は奴隷という事はありません。全ての人が持っている人権を考えた場合、奴隷制度は正しくありません。しかしその時代には、一般に奴隷が認められていました。その時代は戦争が繰り返しありました。戦いに勝った国が領土を拡大し、戦利品を奪い、その戦利品の中には、人が含まれていました。彼等の中には敗戦国の高官や、学者等、教養を身に着けた人々が少なくありませんでした。かつては身分があったかもしれませんが、奴隷となって、政治的、経済的、社会制度における自主性も、個人的自由も奪われていました。そのような奴隷の;中に、福音と聞いて、救われる者が起きてきました。コリントの教会の中にも、奴隷、又奴隷を雇っているクリスチャンもいました。パウロは、奴隷に対して「地上の主人に従いなさい」(22)。主人達に、「奴隷に対して正義と公正を示しなさい」(4:1)と勧めています。  

22-23節に「奴隷たちよ、すべてのことについて地上の主人に従いなさい。人のご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」と勧めています。  

今の時代に奴隷制度はありませんが、社会に生きる私達に、どのように働くのか、原則が教えられています。私達は奴隷ではなく自主の人間ですし、自由です。けれども自由という事は放縦ではなく、何もしなくてよい事ではありません。聖書は「すべてのことについて・・・うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」教えています。これは、今の社会にもそのまま当てはまる原則です。  

何かをするのに、人のご機嫌取りのような、うわべだけで使えるのではなく、主を恐れつつ真心から、与えられている仕事をし、責任を果たす事は大切です。同じ仕事をするにも、真心からでなく、仕方なくする人もいます。神は表も裏もなく、人のすべてを天から見ています。自分に与えられている事について、仕方なくではなく、神を恐れて、真心からする。それが聖書が勧めている生き方です。  

サラリーマンだけでなく、学校における勉強でも、家庭における家事でも、同じくいう事が出来ます。私達は強制されてするのではありません。自主の人間です。自分から進んで、真心から、喜んで、する者となりましょう。  

教会では、皆様が真心から奉仕をして下さっています。教会は、皆様の真心からなる奉仕に支えられています。神様は教会での奉仕だけでなく、日常のすべてを見ています。主を恐れかしこんで、仕事や、勉強や、家事にも、真心からしましょう。23節では、人に対してでなく、主に対してするように心からしなさいと勧められています。それは伝道、教会の奉仕など、特定の事ではなく、「何をするにも」と書いてあります。何をするにも、私達は主に対して、主のためにします。それは教会でささげる奉仕だけでなく、職場での働きであったり、家事であったり、そして学校での勉強であったり、何をするにも、主に対するものです。  

仕事をする場合、私達が扱っている仕事は信仰とは全く無関係のように見えるかもしれません。

しかし私達は神様がここに私を置かれ、そしてこの仕事は神様から預かっている仕事です。信仰を持って受け止め、主に対してするように仕事に取り組みましょう。  

教会に集まって、礼拝を守る事は大切です。日曜日を聖別して神を礼拝する。そして一週間を主と共に歩む、これなしに健全なクリステャン生活をする事が出来ません。けれども家庭、職場、学校等、そこに導かれたのは神様です。そして仕事、家事、勉強は神に与えられたものです。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いましょう。 


Ⅱ 主からの報い  

24節 「あなたがたは、主から報いとして御国を受け継ぐことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。」  

何をするにも、主に対してするように、心から行いうならば。主から報いとして、御国下さる、これは神の約束です。  

人生を評価なさる方は、神様です。人は財産、学歴、地位、業績、成功、その他によって、人を評価します。しかし神の見る目は人と異なります。どんなに地位が高く、成功したとしても、その人について全く評価されません。この地上で、地上の評価は、死と共に消えていきます。けれども、神から評価され、受ける報いは永遠に残ります。そしてその人は天国で輝きます。  

私達が救われ、神の子となり、天の御国に入るために必要なことは信仰です。信仰なしにその恵みに入る事が出来ません。しかし働きに対して払われるものは報酬です。その報酬は天国で受け取ります。それはだれも見たこともありませんが、人が見たことも思いもしなかった栄光に満ちた報酬です。それは働く者に対する報酬ですが、その働きは、自分が何かを成し遂げたという業績や、成功や、地位の事ではなく、コロサイ3:22-24では、主恐れかしこんで真心から従った人、何をするにも主に対して心からした人に主から報いとして、神の国で嗣業として与えられると約束されています。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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