「恵みによって」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 コロサイ人への手紙4:7-17 

パウロはこの手紙をロ-マのひとやから、コロサイの教会に宛てて書きました。パウロの周りには、パウロの同労者が集まっていました。4:7-17には、8名ほど名前が出ています。彼らは、キリストを信じ、そして主に従っていた人々でした。その中で、テキコ、マルコを取り上げて、紹介します。


 Ⅰ テキコ  

テキコは当時のアジアであるエペソに住んでいました。彼は福音を聞き、キリストを信じ救われ、忠実な信仰生活を送るクリスチャンでした。パウロは第3回伝道旅行の時、エペソで伝道しています。テキコは神より召命を受け、エペソからパウロの伝道旅行に同行しました。その後、パウロはエルサレムでユダヤ人達に訴えられ、カイザルに上訴しました。こうして、パウロはローマの兵士に護衛され、ローマに来ます。そこで彼は獄中生活をします。テキコは、ローマにいるパウロを訪ね、そこで忠実に主イエスに仕えました。パウロは獄中から、コロサイの教会に手紙を書き、テキコに託しました。彼は、パウロから信頼された人でした。彼について、「主にあって愛する兄弟」「忠実な奉仕者」「同労のしもべ」と書いています(コロ4:7)。  

後に、パウロはクレテにいるテトスのもとにテキコを使者として送ろうとしました(テト3:12)。テトスは、ニコポリにいるパウロのもとに行き、テキコはしばらくの間クレテで、伝道・牧会に当たったのではないかと思います。クレテの教会は伝道・牧会の困難な教会でした。人間的にはそこは避けたい任地かもしれませんが、テキコは忠実に従い、その教会でも神に仕えた事でしょう。パウロはいったん幽囚生活から解放され、福音宣教活動をします。けれどもローマによって、捕らえられ獄中生活をし、そして殉教しました。テモテ第二の手紙は、パウロの最後の手紙ですが、そこにテキコの名前が出てきます。パウロは、テキコをエペソに遣わしました(Ⅱテモ4:12)。テキコは別の人生を生きる道があったかもしれません。しかし、彼は生涯、主に忠実に仕えました。パウロに対して忠実であっただけでなく、キリストの教会に対して忠実な人生を過ごしました。忠実に神に仕える人が恵みを受け、幸いな人生を生きる事が出来ます。誰もが幸いな人生を願っています。人は苦労するより、楽に生きる事を考えます。お金があって、楽をして生きた方が幸せそうに見えます。しかし、楽をして、犠牲を払う事を惜しんで生きた日々は、何も得る事が出来ず、大切な何かを失っています。一人一人が生きる道は違います。しかし、キリストを信じ、神に忠実に従う人生。これが人にとって、最高の人生です。誰でも、キリストを信じ、神に忠実に従って生きるならば、恵みによって、充実した人生を生きる事が出来るのです。


 Ⅱ マルコ  

10節に、マルコという名が記されています。マルコの家はエルサレムの市内にあり、裕福でした。大勢の人々が集まるのに十分な広さを持っていて、教会の集会にはよく用いられていました。バルナバのいとこでもありました。  

バルナバとサウロは、シリアのアンテオケ教会で、神に仕えていました。ユダヤ地方にききんがあった時、バルナバとサウロは救援物資を持って、アンテオケ教会からエルサレムへ派遣されました。その時にバルナバとサウロはマルコを連れてアンテオケへ帰りました(使12:25)。

その後、教会はバルナバとサウロを伝道旅行に派遣しました。その時、助手としてマルコを連れて行きました。マルコは喜んで伝道旅行に同行したのではないかと思います。しかし、マルコはキプロスからパンフリヤ地方のペルガに渡った時、一行から離れてエルサレムへ帰ってしまいました(使13:5、13)。  

第2回伝道旅行に出かける時、マルコを同行させるかどうかでバルナバとパウロの間に激しい反目が起りました。パウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったようなものは連れて行かない方が良いと考え、二人はついに別行動をとることになりました。バルナバはマルコを連れてキプロスへ渡り、パウロはシラスを同労者として選びました。  

それから約10年後、マルコはパウロと共に獄中にいました。パウロはマルコを同労者と呼んでいます(ピレ24節)。「仕事のために同行しなかったようなものは連れて行かない方が良い」と、拒絶されたマルコが、パウロから同労者と言われ、さらに数年後、パウロが晩年に獄中から書いたテモテ第二の手紙の中で、かつて、パウロから同労者とする事を拒絶されたマルコが、「私の務めのために役に立つ」人物であると記しています(Ⅱテモ4:11)。  

若い時のマルコは困難に耐え、それを乗り越える事が出来ない未熟な青年でした。しかし彼は主に信頼し、歩み続けました。福音宣教のために、バルナバ、ペテロの伝道活動に同行し、主に従い続けて行きました。マルコは迫害や、困難の中を通る事が数多くあったと思います。その中で主に信頼しつつ、祈り、主の助けをいただきながら、神に従っていきました。やがて10数年という月日が過ぎ、マルコはパウロから、マルコを連れて来てほしい、彼は私のつとめのために役に立つと言われるまでに成長していました。  

主イエスを信じる信仰には命があります。命のある者は成長するように、主を信じて、救われた人々には霊的な命があります。主イエスに対する信仰を変えないで、主イエス様に従い続けて行くならば、誰でも成長します。  

イエス様はブドウの木の譬えを語られました。「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」  

葡萄の枝が木につながっているときに、木から養分をいただき、花を咲かせ、実を結ぶように、キリストに信頼しキリストにつながっているなら、その人は魂のうちに豊かに実を結ぶようになります。 

コロサイ2:7-17に名が記されている人々は、恵みによって、幸いな人生を歩みました。人生にはいろいろなことが起こります。けれどもキリストに結びつくなら、素晴らしい人生を過ごすことが出来ます。恵みが一人微鳥の人生を生かします。もしキリストから離れたら、そこには恵みがありません。キリストを信じ、神に従い、恵みの中に生きていきましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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