ヨハネの黙示録 10:1-11
黙示録 10-11 章では、どういうことが預言されているのでしょうか。10 章には、小さな巻物が記されています。
ヨハネは、一人の強い御使いが、 雲に包まれて天から下って来るのを見ました。このみ使いは、イエス様でなく、位の高いみ使いです。彼は手に開かれた小さな巻物を持っていました。 御使いの頭上には虹があり、顔は太陽のよう、その足は火の柱のようです。 右足を海の上、左足を地の上に置いていました。そして、声はライオンが吼 えるように大声でした。輝き、大きく、巨大な力を持ったみ使いです。
ヨハネは「行って、海の上と地の上に立っている御使いの手にある、開か れた巻物を受け取りなさい。」と言う天からの声を聞きました(8 節)。ヨハ ネはその御使いのところに行き、「私にその小さな巻物を下さい」と言いまし た。するみ使いは「それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹に は苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」と言いました。
そこで、ヨハネはその小さな巻物を受け取って食べました。口には蜜のよ うに甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなりました。
11 章には、1-13 に二人の証人のあかし、そして、15 節から、第 7 のラッ パのさばきが記されています。
42 か月も、1260 日も 3 年半です。これは患難時代の前半の 3 年半と考え られます。9:14-21 に第二のわざわいが記され、かつてなかったような世界 大戦が起こりました。この戦争で人類の 3 分の 1 が、殺されます。これは前 半の三年半に起こります。二人の証人の活動は第二の禍の時に起こっていま すので、二人の証人の活動は、患難時代の前半に起こると考えられます。
二人の証人は、モーセとエリヤでしょう。モーセは、イスラエル人が、エ ジプトで奴隷になっていた時、民を救い出した指導者です。モーセはパロ王 の前で、十のわざわいを起し、神の力を表しました。エリヤは、アハブ王に 時代に、偶像礼拝と闘った預言者です。彼は人々が偶像から離れ、神に立ち返るように神の言葉を伝えました。カルメル山で、バアルの預言者たちと対 決しました。神は天からの火を下し、エリヤの神が真の神であることを証明 されました。イエス様が、山の上で姿が変わった時、モーセとエリヤがイエ ス様の両側に立ちました。
患難時代は罪深い時代です。モーセとエリヤはその時代に、王と、民に神 の言葉を語り対立しました。罪から離れない王と民は苦しめられました。
7 節では、二人が証言を終えると、獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺し ました。そして彼らの死体は大きな都(エルサレム)の大通りにさらされま した。その死体を墓に葬る事を許されませんでした。
この事で、もろもろの国に属する人々が、三日半の間、彼らの死体を眺め、 彼らの事で喜び祝って、互いに贈り物を交わしました。しかし、三日半の後、 二人の証人は復活し、自分達の足で立ちました。その時、大きな地震が起こ り、都の十分の一が倒れま、そして地震のために七千人が死にました。
第七の御使いがラッパを吹きました。すると大きな声が天に起こりました。 「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限 りなく支配される」(15 節)。ここに、キリストが地上に再臨され、王となり、 世界を納めなさる事が預言されています。19 章の終わりに、キリストの地上 再臨があって、20 章でキリストが世界を納める 1000 年王国が出てきます。
15 節の預言は、その時の事だと思いますので。19-20 章で話します。 小さい巻き物
10:9 に『 私はその御使いのところに行き、「私にその小さな巻物を下さい」 と言った。すると彼は言った。「それを取って食べてしまいなさい。それはあ なたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」』と記されています。
ヨハネが、小さな巻物を御使いの手から受け取って食べると、口には蜜の ように甘く、それを食べてしまうと、ヨハネの腹は苦くなりました。
この巻き物は、ギリシャ語では、ビブラリデオンという言葉で、パピルス の巻き物です。それが何か断定できませんが、聖書と理解する事が出来ます。
ヨハネはみ使いから小さな巻物を受け取り、食べました。すると口には蜜 のように甘くありました。
聖書は心の糧です。食物を体の中に取り込むように、御言葉を霊魂の中に 取り込みます。そこで霊的な命を保ち、信仰に成長することが出来ます。御 言葉は、私達を救い、神と和解し、永遠の命を約束しています。み言葉は、 天の恵みで私達の心を潤します。御言葉は再臨の時、携挙され、患難時代に 生きる事がない。そして、神の国に住むことを約束しています。御言葉を魂 の糧として食べる時、霊魂は潤され、口には蜜のように甘いです。
詩篇 19:10 に「それらは金よりも多くの純金よりも慕わしく蜜よりも蜜 蜂の巣の滴りよりも甘い」と記されています。またエゼキエルも「私がそれ を食べると、それは口の中で蜜のように甘かった。」と言っています。
小さな巻物は、口には甘かったのですが、腹には苦くなりました。み言葉 は神様の啓示の書です。み言葉には、恵み深い神の愛が記されています。し かし神は聖なる方、義なるからです。汚れを嫌い、罪を裁きなさる方です。 み言葉には、さばきと永遠の滅びが記されています。神は侮られる方ではあ りません。不信仰と罪にとどまるなら、審判があります。黙示録には勝利の 栄光に輝く讃美が記されています。同時に、神の審判が、記されています。
蜜のように甘い恵み、そして苦い審判、どちらも神から起こっています。 み言葉を食べることは、その両方を心にとめ、神の前に生きることです。私 達は恵み深い愛の神に信頼し、神の恵みの中に信仰生活を過ごしています。 しかし、聖なる神、罪をさばきなさる神を隠す事はしません。腹に苦いかも しれませんが、聖なる神を心にとめ、神の前に生きることが大切ではないで しょうか。神を恐れて生きる。聖なる神の前で生きる信仰は、魂の中に深い 敬虔を生み出します。敬虔は、今の命と後の命に益があります。
魂の糧として御言葉を読み、食しましょう。御言葉によって恵み深い神を 知り、また聖なる神の前に歩み、敬虔に生きる信仰生活を培いましょう。
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