「天での勝利の歌」


聖書箇所 ヨハネの黙示録 12:1-17

牧師 新澤昭彦 

12 章では、「一人の女」「竜」が登場します。「竜」は、9 節に「こうして、 その大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、」と書い てありますから、サタンです。

しかし「一人の女」については、いろいろの 解釈があります。おそらく、キリストの教会を象徴すると考えられます。 12 章に書いてある事が患難時代に起こる事として読みますと、理解が困難 になります。ある先生は、12-14 章は挿入的部分だと言いました。時代から 切り離して 12-14 は理解しなければならないと説明します。東京聖書学院の 院長をされた小林和夫先生は、「1-12 章までは人間の罪について語り、・・・ その罪に対する神の怒りの審判という立場から記しています。12-22 章まで は、イエス・キリストがついに勝利を与えられる事をテーマにして展開して いるのです。」さらに「12 章からは、ヨハネが生きている時代よりももっと 前の時代にさかのぼって記しています」と言っています。12 章は患難時代の 事も預言されていますが、過去、現在、将来起こる事も関係して、それを越 えた次元で、記されていると思われます。


 I  クリスチャンの信仰の戦い、対悪魔 4b-5 節はキリストの生涯の出来事と一致します。神様は人類の救い主とし て、神の独り子をマリヤに宿らせました。救い主が生まれる事はサタンにと っては、何としても阻止しなければならない出来事です。イエス様がベツレ ヘムでお生まれになった時、サタンはヘロデ王を用い、殺害しようとしまし た。けれども、神はヨセフに夢で現れ、エジプトに行くように告げ、ヨセフ はマリヤとイエス様を連れてエジプトに避難しましたので、無事でした。 この子は、「鉄の杖を持って、すべての国々の民を牧する」。鉄の杖は権威 と力を意味しています。

詩篇 2:9-「 あなたは鉄の杖で彼らを牧し、」とキリ ストについて、預言されています。イエス様はやがて王となり、鉄の杖で世 界を治め、民を養う方です。すべての国民の王、王の王です。

 そしてイエス様は、十字架にかかり、贖いを成し遂げ、葬られましたが、 復活し、神のみもとに帰りました。今は神の右の座でとりなしをしています。 私達は、イエス・キリストを救い主として信じて救われました。神の家族 の一員であり、神と共に生きる者です。救われた人々の集まり、それが教会 です。本来の教会は、国や、時代や、教団教派を越えた一つの教会です。 サタンは世界を惑わすもの(9 節)、告発者、訴える者(10 節)です。神 に敵対し、人を神様から遠ざけ、罪を犯させようとします。特にクリスチャ ンを誘惑し、神から引き離そうとします。そして罪を犯したと訴えます。 

サタンとその配下の使いは、天使の軍団の長ミカエルと闘いました。しか しサタンは勝つ事が出来ませんでした(8)。そして天にいる事が出来ないで、 地に投げ落とされました。「 竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、 男の子を産んだ女を追いかけた。」(13)と記されています。地に投げ落とさ れたサタンは、「女」、これは教会でしょう。そして教会に所属するクリスチャン達でしょう。

サタンは、この人々を滅ぼそうとして、追いかけてきます。 サタンは教会とクルスチャン達を追いかけます。サタンは神から離そうと して、誘惑し、苦しめまた失望、落胆、疑いを持たせようとします。ここに、 信仰の戦いがあります。信仰を持ち続け、悪にまけない、神に従い続けて行 くための戦いです。本来の教会は、国や、時代や、教団教派を越えた一つの 教会です。これは一つの教会、天の教会です。天の教会には戦いがありませ ん。しかし私達は天の教会に所属しているだけでなく、地上の教会に所属し、 地上の教会で礼拝を守り、交わりを持ち、奉仕しています。その地上の教会 は、戦闘の教会です。その戦闘はサタンとの戦闘です。 サタンは教会を苦しめ、礼拝、宣教活動や、教会活動が出来ないように仕 向けてきます。教会に集まる方が少なくなり、教会に元気がなくなってきま す。サタンは教会が苦しんでいる、そこに働きかけ、キリスト教の力を弱め ようとしています。サタンの悪だくみに、教会は戦っていかなければなりま せん。

今までのような、集会、伝道活動が出来なくなる事態が起こるかもしれません。

しかし、教会は立ち止まらないで、どうしたら、教会の働きを止 めないで前進できるのでしょうか、それは教会の働きを妨げる悪魔との戦い です。地上の教会は戦闘の教会で、信仰の戦いを戦わなければなりません。 教会だけでなく、私達はキリストを頭としてそこにつながる教会の部分と して、個々のクリスチャンにも戦いがあります。天に行ったなら、苦しみも、 悲しみも、呪われた者はありません。しかしこの地上では、経済的な苦境に 立つ事、難しい問題を抱える事、健康上の心配、いろいろな事が起こります。 その中でサタンはクリスチャンの信仰をやめさせようして、追っかけてきま す。それは私達の信仰が弱いから起こるのでありません。サタンはすきを狙 って、私達を神から離そうとして、戦いを挑んできます。 


II  クリスチャンの信仰の戦い 神の守り 10-12 節は、天での讃美です。

そこでは、勝利の賛美が大きな声で歌われ ています。サタンは、教会、またクリスチャン達を執拗に追いかけ、誘惑、 疑い、失望、落胆を起こさせて、神様から離そうとします。サタンは狡猾で、 力を持っています。しかしサタンは、いつも敗北しています。サタンの力を 侮る事は出来ません。しかしキリストによって、すでに私達は勝利していま す。キリストは全勝で、サタンは全敗です。 サタンは、天使の長ミカエルと闘い、敗北し、地に落とされました。 キリストは生涯、サタンの誘惑を受けました。けれども、いつも勝利しま した。キリストは十字架で贖いを成し遂げ、サランの頭を砕きました。 未来において、キリストは、地上に再臨されます。その時、サタンは底知 れぬところに投げ込まれ、閉じ込められます。1000 年後サタンは解放され、 人々を惑わし、神に対抗しますが、火と硫黄の池に投げ込まれます。 地上の教会は戦闘の教会です。そこには戦いがあるかもしれませんが、キ リストによって私達は勝利者となる事が出来るのです。私達はサタンに立ち 向かう力がありません。しかしキリストはサタンに勝利しました。私達はキ リストによって、勝利者となります。 竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女を追いか けました。しかし、14 節では、「女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒 野にある自分の場所に飛んで行った、と書いてあります。」女には、わしの翼 が与えられ、自分の場所に飛んでいきました。わしは鳥類の中で、最も力が あり、強い鳥です。イスラエル人がエジプトを出て、40 年旅をして、約束の 地に行きました。その時、神はわしが翼を広げて雛を守るように、民を守っ て下さいました(申命記 32 章)。そのように、神は教会を守って下さいます。 15 節では、蛇がその口から、女のうしろへ水を川のように吐き出し、彼女 を大水で押し流そうとしました。その口から出る大水は、中傷・誹謗かもし れません。しかし、地は女を助け、その口を開けて、竜が口から吐き出した 川を飲み干しました(16)。それ神の守りです。地上の教会は戦闘の教会で、 困難に直面します。けれども恐れる事はありません。神は生きていて教会を、 そして、クリステャンを守っているからです。 


III  信仰の勝利者 11 節にサタンに打ち勝った人がどのような人であった記されています。


① <子羊の血>、小羊の血はキリストが十字架の上で流された血潮です。イエス 様は罪を赦すために命を犠牲にされ、心をきよめるために血を流して下さい ました。

彼等はキリストを信じ十字架の贖罪に信頼していた人々です。

⓶< 自分たちの証しのことばのゆえに>、ロマ 10:10 に、「彼らは心で信じて義と 認められ、口で告白して救われる」と書いてあります。彼等はイエス・キリ ストを心で信じていただけでなく、キリストを信じていると、人の前で告白 し、そしてキリストの恵みを証ししている人々でした。

 ➂<彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。>、自分のいの ちを惜しみませんでした。ここに記されている「いのち」という語はプスケ ーです。多くの場合、外的な人間に対して、内的な人間、心とか、意志や感 情の座として、プスケーが用いられ、魂と訳されています。

「プスケー」が命 という事は、魂が満たされて、楽しく、魂の潤いがある生き方を指しています。

私は今生きています。しかし人は単に生きている事で満足する事が出来 ません。魂が生かされ、潤いがある人生を生きたい、と願っています。人生 を生かすのは、魂の命です。この魂の命は、全世界以上に尊い命です。 イエス様は「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのため にいのちを失う者はそれを見出すのです。人は、たとえ全世界を手に入れて も、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。」(マタイ 16:25-26) と教えられました。イエス様が言われた「いのち」という語も、ギリシャ語 ではプスケーです。 人々は自分の魂を満たすために何を求めているでしょうか。酒、遊興、娯 楽、美貌、名声、富などを求めます。そして自分の魂を楽しませようとしま す。しかし自分のために魂の喜びを求めても、魂を生かす事が出来ません。 イエス様は「自分の命を救おうと思うものはそれを失い。」とおっしゃいまし た。わたしたちの魂を生かし、心が潤され、私達が確信を持って生きる人生 を送る事が出来るのは、自分を中心として生きる事ではなく、むしろ自分に 死んで、神と、隣人を愛し、神と隣人のために生きる、人生です。自分を生 かそうと、自分の事ばかり考えて生きるならば、自分を生かす事が出来ない ばかりか魂の命を失います。「自分のいのちを惜しまなかった」という人は自 分のために生きたのではなく、キリストを信じました。そしてキリストのた めに生きた、そして隣人を愛し、神の愛に生きた人です。 使徒パウロは、自分の命を惜しまず、福音のために生きました。彼は義の 栄冠が私を持っていると言いました。そして「私だけでなく、主の現れを慕 い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。」と言っています。 竜に打ち勝った人は、彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかっ た。自分の楽しみ、損得を求めて生きる人でなく、キリストを信じ、自分の 十字架を負って、キリストに従い、キリストを愛し、キリストの現れを慕い 求める人でした。11 節、これがサタンに勝利し、天に住む人々です。 自分求めるではなく、神を慕い、主に従う者とさせていただきましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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