「信仰による義」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 創世記15:1-7  

神はアブラムに、「恐れるな。わたしはあなたの盾である」と語りました。そして神は、彼を外に連れ出し、「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。あなたの子孫は、このようになる。」とみ言葉を語られました。アブラムは、主は信じました。彼は信仰によって、義と認められました。


 Ⅰ 神の義とは  

義とは神から義と認められる事で、祝福を受ける根拠です。神から義とされるそれは最高の祝福です。神が義と認めて下さり、神に近づき、神と共に生きるならば、どんな時にも、揺るがない確信のある生き方をする事が出来ます。神は義なるお方です。神に近づくために、人は義なる者でなければなりません。しかし、罪がありません、と言える人は、一人もありません。神の前にはすべての人が罪人です。神に対する罪は人を神から遠ざけます。  

また天国は神に義とされた人々が入る事が出来ます。天国は神の国ですから、神に対する罪があったなら、天国に行く事が出来ません。どんなに裕福な人生を送り、多くの業績を残したとしても、それは何の益も与えません。  

人は死について考える事を避けます。しかし死は先に事ではありません。人生はあっという間に、過ぎていきます。人は一度死ぬ事と、死んだ後に裁きに会う事が定められています。そのさばきを誰も避ける事が出来ません。私達が天国に行き、神の国に永遠に生きる事ができる根拠は神の義です。神の前に立つ事が出来るように、義なる者とならなければなりません。


 Ⅱ 義とされる約束  

旧約聖書によるならば、神との正しい関係は、神が定められた律法を遵守する事によって、与えられます。律法によって義とされるなら、律法のすべてを守らなければなりません。もし律法のきまりを一つでも破るならば、違反者となり、神との正しい関係を持つ事が出来なくなります。  

律法によって、神に義とされようとするなら、律法の全部を守らなければなりません。しかし戒めを知れば知るほど、自分がどんなに罪深い者であるかを知るでしょう。律法を守ることによっては、誰一人神の前に義とされません。神は、義なる神の前に、義なるものとして立つために、人々に戒めを教えられたのですが、戒めによって、むしろ人の心に罪の意識が生じました。  

神は律法ではなく、恵みによって、義とされる新しい道を準備して下さいました。それがキリストの十字架です。  

すべての人は罪を犯し、神に背いています。罪はのろいを受けなければなりません。神が御子イエス様を十字架につけたのは、人類の罪を赦すためでした。主は十字架の上で人類の全ての罪ののろいを背負って下さいました。  

罪の代価はキリストの十字架によって、払われています。キリストの十字架の故に、神は信じるものは赦され、義とされます。神はキリストの十字架のゆえに、キリストを信じる人を、今まで一度も罪を犯したことがないものとして、義なるものとして認めて下さいます。罪に気付き、砕かれた心をもって、悔い改め、そして主イエスを信じるならば、罪は赦され、義とされます。  

ロマ3:20-28に、「人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。…律法の行いではなく、キリストを信じる信仰によって、義と認められます。…神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」と記されています。贖いとは、代価を払って買い戻す事です。キリストは十字架の上で、私達の罪の代価を払って下さいました。人は十字架にかかり復活したキリストを信じる信仰によって、義とされます。


 Ⅲ アブラハムの場合  

ユダヤ人は、聖書を知っていました。そして、神に義とされる、これが最高の祝福であることも知っていました。彼等は、その義は律法を守る事によって得ることが出来ると信じていました。また神との契約関係に入るために、神の民となるために割礼を受けなければならないと教えていました。  

アブラムについて、「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」と記されています。アブラハムは、律法を行ったからではなく、また割礼を受けたからではなく、信仰によって、義と認められました。  

アブラムが神に義と認められたのは、律法が与えられる前でした。また割礼が命じられたのはアブラムの時代の後です。アブハムは行いではなく、神を信じ、その信仰によって神から義と認められました。  

アブラムはどのように神を信じたのでしょうか。アブラムは神の真実、約束を守る方として神を仰いでいました。 神はアブラムと契約を結びます。12:23には祝福の約束、13:15には、土地があなたと子孫とに与えられると;云う約束、そして、13:16には、子孫を地の塵のように多くする。と約束しています。これは神とアブラムの契約です。  

この時アブラムには子どもがありませんでした。しかも、アブラムも、サライも老年になっていました。神は「あなたの盾である。」と言われます。神はアブラムを守り、そして契約を守りなさる方です。アブラムはその神を信じました。しかも人間的には望みえない時に信じました。「彼には、それが義と認められ」ました。  

神は人類に聖書を与えて下さいました。聖書は神の契約の書です。神は主イエスにより、罪の赦し、義として下さる。そして神の子とする事、永遠の命、神の国を受け継ぐ事を約束しています。クリスチャン信仰は、聖書により神が約束していらっしゃる契約に基づいています。契約は一方の側から成り立つのではありません。両者が捺印して有効になります。神は人類の救いのために主の十字架という大きな代価を払って下さいました。人間の側からは必要なのは信仰です。御言葉に基づき、十字架にかかり、復活された主を信じるなら、神との契約は成立し、義とされ、神より豊かな霊的祝福を受ける者となります。アブラムは望み得ない時に望みを抱いて信じました。約束された神は盾です。真実で、契約を守られる方です。聖書を通して語っている神を信じ、堅く信仰に立っていきましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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