牧師 新澤昭彦師
聖書箇所 創世記17:1-8
アブラムが99歳の時に、神は「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」と言われました。イエス様も山上の説教の中で、「あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」と言われました。「完全であれ」とは、神の命令です。私達は不完全な人間で、完全になることは出来ません。私達が不完全な人間であることは誰よりも神がご存知ですが、不完全な人間に、何故神様は「全き者であれ」「完全でありなさい」と言われているのでしょうか。キリスト者の完全について、書かせていただきます。
Ⅰ アブラハムの失敗
神はアブラムに夜空の星を見せ、「あなたの子孫は、このようになる。」と約束されました。アブラムは神を信じ、神が約束を信じ続けるべきでした。 アブラムの妻サライは、老年になっていて、子どもがありませんでした。サライは、アブラムに、女奴隷ハガルによって、子供を設けるように勧めました。神の約束は、サライから生まれるものが世継ぎになる、またそこから子孫が空の星のようになるという約束でした。アブラムはハガルによって子をもうけました。しかしアブラムの取った行動は信仰的に正しくありません。
アブラムは、神の約束を信じ、信頼を貫かなければなりませんでした。しかし彼は人間的手段、手細工で、神の約束を実現しようとしました。それは神の御心ではありませんでした。そのために、86歳(16:)~99歳まで(17:1)、13年間、神の語り掛けがありません。神は沈黙しています。
霊魂に命を与え、支えているのは神です。神との交わりの中に歩んでいる。そこに霊的命があり、魂から恵みが湧き、消えない喜びと平安があります。13年間、アブラムは神の語り掛けがなく、神の恵みがなく、心が渇ききった日々が続いたのではないでしょうか。
Ⅱ キリスト者の完全とは何か
99歳の時、神はアブラムに、「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」。と言われました。人は言葉や、行為において、完全になることは出来ません。神が命じられた「全き」、「完全」とは、言葉や行為において、失敗がない、誤りがない、何でもできる完全ではありません。それは「愛の完全」です。 愛の完全とは、神への愛に不純物が含まれない魂の状態です。聖書は、「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』と全人格をもって神を愛し、神を第一とするように、教えています。あなたにとって、第一は何ですか。お金ですか。物ですか、趣味ですか、遊ぶ事ですか、名声ですか、地位ですか。それらを求める事は誤りではありません。しかし、第一に求め、愛するものは神です。もしそれらのものが神への愛を妨げるなら、それは神に捧げ、神を優先します。そして神を愛する人は神の喜ばれるのは何かを考え、神に喜ばれる生き方をしようとします。
また主は、『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です、と言われました。主は、山上の説教で、「あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」と命じられました。この聖句は、隣人への愛について教えています。その愛は、敵を愛し、を迫害する者のために祈る愛です。その愛は神の中に見られる愛、アガペーの愛です。
人は言葉と行為では愛において完全になることは出来ません。間違いたり、不適切な言葉を語り、失敗し、悔やむ事があります。けれども神と人を愛し、愛に偽りがありませんと、動機において、全き愛を持つことが出来ます。
また、「全き」は、神への信仰・信頼の中にも現れます。自分の方法、計画、考えではなく、神の御心を思いめぐらし、神の御心に従おうとします。しかし、実際生活において、判断に間違い、失敗することがあるかもしれません。しかし、心の中で、神のみに信頼して生きることが出来ます。
人は動機においては全き愛、全き信頼を持つ事は出来ます。全きとは、完璧であることではなく、「キリスト者の完全」です。そして、恵みによって、きよめられ、全き人として、成長することが出来るのです。
Ⅲ キリスト者の完全と全能の神
魂の中に、不透明、不純物がない、神との交わりの中に生かされているならどんなに幸いでしょう。そこには自由がありますし、力があります。魂の中に恵みが注がれ、明るく生きることが出来ます。
信仰に、愛に不純物が混じっているなら、神よりも世の事を慕い求めているなら、魂は曇ります。アブラムが、ハガルとの事で心が神から離れた時、13年間、神はみ顔を隠されました。魂が完全でないなら、魂は曇ります。
人は罪深いです。自分を変える事が出来ません。魂を変える事は困難です。それは人には出来ないかもしれませんが、神には出来ます。 神はアブラムに、私は全能の神ですと言われました。神には出来ない事はありません。アブハムが100歳、妻のサラが90歳の時、約束の子イサクが生まれました。人間的には不可能ですが、神は約束の子イサクを与えて下さいました。人の心を変える事は困難です。しかし神にはできないことがありません。神の恵みによって、私達の魂はきよめられ、キリスト者の完全を自分のものとすることが出来ます。
① きよめを必要としてもとめましょう。
② キリストにすべてをささげましょう。 人は何も持たないで神から生まれ、神に帰っていきます。
私達のすべては神のものです。神にささげるならば、神が最善を行ってくださいます。
③ キリストの血に信頼しましょう。
キリストは私達の心をきよめるために十字架の上で血を流して下さいました。
御子イエスの血がすべての罪から私達をきよめると約束されています。
④ 聖霊の働きを信じましょう。
心をきよめるのは、聖霊の働きです。聖霊は今も働いています。
そして心の汚れをすべてやきつくし、心をきよめてくださいます。
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