「アブラハムのとりなし」

牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 創世記18:16~33 

 Ⅰ ソドムのさばき アブラハムは神の声を聞き従い、神に示された地に移りました。その時、甥のロトも同行しました。アブラハムとロトは同じ行動を取ったのですが、神に対する信仰の姿勢は同じではありませんでした。 アブラムはロトが、別れて行動をとるようになった時、ロトが選んだのは、ソドムでした。そこは、潤い、豊かさと世的繁栄がある所でした。しかしそこは罪と欲望に満ちていました。ロトは神に喜ばれる事より、世的に繁栄しているソドムを選択しました。  

ソドム住んだロトは、豊かになり、世的な地位もついてまいりました。しかし、ソドムは罪深い町で、神は天からの火を下し、滅ぼそうとしています。  

アブラハムの天幕に、三人のみ使いが訪れ、一年後、アブラハムの妻サラが男の子を生む、とを告げ、アブラハムの子孫は強い国民となると約束しました。それから、その人達は、ソドムに向かって出発しました。アブラハムは彼らを見送りに、彼らと一緒に行きました。二人の人はソドムに向かって進み、一人の人がアブラハムと共にいました。その方は、神を表す「主」と記されています。この方は、降誕する前のイエス様です。主は「わたしは、自分がしようとしている事.を、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」と考え、「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪はきわめて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおり、彼らが滅ぼし尽くされるべきかどうかを、見て確かめたい」(20-21)。と告げました。  

ソドムの人々はよこしまで、非常な罪人でした。彼等の罪によって、ソドムは滅ぼされようとしています。ロトはそのソドムに住んでいました。


 Ⅱ アブラハムのとりなし  

主は、「ソドムの町の叫びは、非常に大きく、また彼らの罪は極めて重い」といっています。「叫び」とは、法律用語で、虐げられている人が裁判で訴えている、その叫びです。ソドムの人々があまり罪深いので、町が叫ぶほどでした。その叫びは天にまで届き、ソドムは滅ぼされようとしています。  

アブラハムは強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受ける、と聞きました。同時に、ソドムの滅びを事を聞きました。アブラハムにとって、自分に祝福の約束が与えられていても、自分さえ安全で、良ければよいのではありませんでした。彼はソドムの町の滅びが聞き、憂いました。彼はロトの事を考えました。彼らがソドム共に滅ばされてよいでしょうか。彼はロトとロトの家族の無事を願いとりなしの祈りをささげました。  

アブラハムは、「もしかすると、その町の中に正しい者が50人いるかもしれません。あなたは本当に彼らを滅ぼし尽くされるのですか。その中にいる50人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですか。」と、神と討論するように、ソドムの町の救いを願いました。神は憐れみ深い方、赦しの神です。「もしソドムで、わたしが正しい者を五十人、町の中に見つけたら、その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう。」と主は言われました。  

もしかすると、50人の正しい者がソドムにいないかもしれません。彼は、50人に5人不足しているかもしれません。その5人のために、あなたは町のすべてを滅ぼされるのでしょうか。」と言いました。それに答え、主は「いや、滅ぼしはしない。もし、そこに45人を見つけたら。」と言われました。さらに彼は45人から40人、30人、20人、そして10人の正しい人がいるなら、赦されないのですか、ととりなししました。主は「わたしはその10人のために滅ぼさないであろう。」と言いました。

 ①アブラハムのとりなしはロトとロトの家族のための祈りでした。  

13節に「ソドムの人々は邪悪で、主に対して甚だしく罪深い者たちであった。」と記されています。神は人の生活を見ています。そして、全ての罪は神に対するものです。さらに神を信じない、不信仰、背信、そして神以外のものを神として拝む偶像礼拝は主に対する罪です。主に対する罪のために、ソドムの町は滅びようとしています。ソドムの町の滅びをアブラハムが聞いた時、まずアブラハムが心配したのは、彼の親戚のロトとその家族でした。アブラムは彼らの救いを願い、とりなしの祈りをささげました。  

もし不信仰と罪の中にとどまるなら、神にさばかれ、滅びが来ます。それはソドムの場合だけでなく、全人類に及びます。しかし神は憐み深い方で、赦す神です。神は滅びから救うためにキリストを遣わされました。キリストは全ての人々の罪を贖うために十字架にかかって死なれました。だれでも主イエスを救い主として信じて、心の中に迎え入れるならば、救われます。  

私達は悔い改め、十字架にかかられたイエス・キリストを信じて救われました。さばきを免れて、永遠の命を持っています。しかし、まだ救われていない家族・友人はいないでしょうか。もし家族の中に、親戚の中に、イエス・キリストを信じていない方々がありますならば、私達がなすべきことは、彼らが救われるようにとりなしの祈りをすることではないでしょうか。

②アブラハムの祈りは、ソドムの人々のためのとりなしでありました。  

24節に「その町をお赦しにはならないのですか。」とアブラハムは言っています。アブラハムは、罪深いソドムの町のために救いを祈りました。私たちも住む町のために、そして国のために祈る事が求められています。

③アブラハムは神のみなのゆえに祈りました。 18:23-25 に「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。・・・そんなことは絶対にあり得ないことです。全地をさばくお方は、公正を行うべきではありませんか。」と主に言っています。これはアブラハムが神に説教しているのではありません。神は憐れみ深い神です。神の御心は滅ぼす事でなく、霊魂を救う事です。この神の性質のゆえに、ソドムの町の正しい人々を救って下さいと祈っています。  

人々の救いは、神ご自身の願いであり、御心にかなった事です。神が望んでいるは、人々の滅ではなく、救いです。神は人々を救うために、御子イエス様の十字架という大きな犠牲を払って下さいました。そして今もなお、人々を救おうとしているのです。一人でも救われるなら、天に喜びがあります。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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