牧師 新澤昭彦師
聖書箇所 創世記19:15~29
Ⅰ ソドムの滅亡とロト
ソドムの罪は非常に重く、神はソドムの町を滅ばそうとしていました。アブラハムの天幕を訪れた3人のみ使いのうち、二人の御使いは、ソドムに行き、ロトは二人を迎え、もてなしました。み使いはロトに「この町にいる身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。私たちは、この場所を滅ぼそうとしています。」と告げました。夜が明けるころ、御使いたちはロトをせき立てて「さあ立って、あなたの妻と、ここにいる二人の娘を連れて行きなさい。そうでないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまいます。」と言いました。さらに、御使いは「命がけで逃げなさい。後ろを振り返ってはいけない。」と言いました。天から火と硫黄が降って、ソドムが滅ぼされようとしています。
ロトは妻と二人の娘の手を引いてはゾアルという町に向かって逃げました。その時、天から硫黄の火が降ってきて、激しい炎と共にソドムは崩れ落ちました。アブラハムが、低地のソドムとゴモラの方を見ると、それはかまどのように煙が立ち上り、天を焦がすような光景でした。町は炎に包まれ、煙が立ち上り、人々は次々に倒れて行きます。彼らがそのようになったのは、彼らの神に対する罪のためでした。
み使いは「うしろを振り返ってはいけない。と言っています。しかしロトの妻は後ろを振り返りました。26節に「彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。」記されています。被女は塩の柱になりました。
Ⅱ ロトの妻から受ける教訓
何故、ロトの妻は後ろを振り返ったのでしょうか。彼女はソドムに残してある、家、財産、宝、ソドムでの豊かな生活が心にあったのではないでしょうか。ソドムが崩壊していく時、失っていくものに心がひかれ、後ろを振り返りました。それは、彼女の心が、神ではなく、富に支配されていたことが暗示されています。彼女は、心から神を信じ、神を愛していたのではなく、心は世を慕い、世に支配されていました。
イエス様は、「あなたがたは、神にも仕え、富にも仕えることが出来ません。」と言われました。金銭そのものは罪ではありません。金銭は生活に必要なものを購入するために必要です。健全な生活をするためには、働いて、あるいは年金を得て、金銭を受け取ります。そこから、10分の一を神にささげ、生活に必要な物を買い、税金や、年金、養育・教育のためにお金を使い、健康保険料などを支払い、将来のために貯金をします。金が罪なのでなく。あ金に対する人の心が罪を生みます。
イエス様は、「神にも仕え、富にも仕えることが出来ません。」とおっしゃいました。あなたは何に仕えていますかという事です。私達の仕えるお方は神様です。お金儲けしようとして、心が神様でなくお金に向かったり、お金をもって、誇ったり、人を支配しようとしたり、またお金にこだわっているなら、心は神様から離れて暗くなるでしょう。
第一ヨハネ2:15-17には「あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。」また「神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。」と記されています。どんなに富を持ち、暮らし向きの豊かな生活をしてもそれがあなたの魂を豊かいはしません。生活に安心を与え、安全に生きる道は富ではなく、神への信頼です。世の宝に心を向け、富にこだわって生きるならば、魂の幸いを受ける事が出来ないばかりか、永遠の命を失う事になります。
Ⅲ 神の前に生きる
神が私達に求めていることは、主を信じ、信仰に立って、神と共に歩み、神に仕えることです。
ルカ17:22~37に、主イエスは再臨の教えを弟子達に語りました。その中で主は「ロトの妻を思い出しなさい。」と言っています。ソドム、ゴモラは天からの火によって滅ばされました。罪と不信仰があるなら、聖書は世界に滅びがある事を教えています。しかし恐ろしい患難時代にはいる前に、主イエスが再臨されます。そして敬虔な心で神を恐れ、正しく歩む人々を天に携え挙げ、そこでいつまでも主と共に生きるようになると約束しています。主の再臨がいつかは分かりません。再臨の時に残されたら大変です。ロトの妻の記録は現代の私達に対する警告です。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない」。後ろにある者は、世の宝です。後ろを振り返らないで、真心から主イエスに信頼し、天にあるものを求め。敬虔な心で、神に仕える者となりましょう。
主を信じ、主と共に歩む、神に仕える。これは、特別の時の事ではなく、いつもの事です。ある方はサラリーマン、ある方は自営業、また主婦、学生等々です。いつも礼拝や奉仕をしているのでなく、外面的には、信仰を持っていない方と変わりがない時間の使い方そしています。けれども、私達が仕えているのは、世ではなく神です。かつては世に仕えていましたが、今は世から離れ、神を礼拝し、神に仕えています。もう後ろを振り返ることはありません。
私達は、かつて神を知りませんでした。世を求めていました。富み、誉れが心を満たすための対象でした。しかしどんなに富を得ても、成功しても、魂には空しさが残ります。神と共に生きる人生にこそ人生の充実があり、そして、主が再臨の時に栄光のからだに変貌されて、携挙されます。そして神の国に凱旋し、永遠に御国に生きるのです。
ロトの妻は後ろを振り向きました。そして神からくる祝福を失い、塩の柱になりました。後ろにあったのは世です。富みです。後ろを振り向かないで、堅く信仰に立ち神に仕えて行きましょう。
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