「義なる神」


牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 黙示録16:1-16 

 Ⅰ 黙示録のらせん構造 

黙示4~20章のこれから起こる事について、歴史の流れを一直線で表しているのでなく、螺旋的に記しています。
 

螺旋状の構造では、同じ点を通過するのですが、横から見ると二度目、三度目はもとの場所より上を通って、円を描きながら上昇します。
 

6:1~11:14は、患難時代の始めの3年半に起こる事が預言され、11:15に「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった」と記されています。これはキリストが王となって治め、平和な時代が来る千年王国の事を言っています。
 

12章には、キリストの誕生から、昇天までのこと、サタンが天使ミカエルと。闘って敗れ、地に落ちとこと、そして、13:-14:には、獣が出てきました。これは反キリストで、反キリストは神に従う聖徒たちと闘います。これは患難時代の後半に起こる事です。12章~14章の出来事は 「雲の上に座っておられる方が地上に鎌を投げると、地は刈り取られた。」(14:16)で完結しています。これは、神に反対する獣に対するさばきです。獣は滅ぼされ、キリストの支配がこれに続きます。
 

16章に.7つの鉢が出て来ます。み使いが7つ鉢をぶちまけ、地上に神の審判があります。獣は軍隊をハルマゲドンに集結し、神の民と闘います。さらに17-18:は、大淫婦、バビロンのさばきがあります。18:20に「天よ、この都のことで喜べ。聖徒たちも使徒たちも預言者たちも喜べ。神があなたがたのために、この都をさばかれたのだから。」と、獣のさばきが記され、そして、19:-20:で、キリストの地上再臨と、千年王国が記されています。


 Ⅱ 16章の出来事
 

16:には、7つの鉢のうち、1~6までの鉢が傾けられています。これは後半の3年半の間に自然界におこるさまざまの災害です。第一は腫物、第二は海が血のようになり、海の中にいる生き物はみな死ぬ、 第三は川と水源に血になりました。水を飲むことが出来ません。第四は、太陽は熱くなり、人々は激しい炎熱で焼かれました。たくさんの死者が出ます。第五は、闇が獣の王国を覆いました。第六は大河ユーフラテスの水は涸れ、日の昇る方から来る王達の道が備えられました。神に背く獣の支配下にある軍は、聖徒と闘うためにハルマゲドンに集結します。そして、第七の鉢がそそがれます。獣の連合軍は終結し、エルサレムに向けて進軍します。世界最後の大戦争が始まります。この時に地震など自然界に、大きな災害が起こります。 


Ⅲ 義なる神
 

16章の禍は患難時代の後半3年半で起こる事と思われます。第一の災害(2)は、獣の刻印を受けている者達と獣の像を拝む者達に、ひどい悪性の腫れものができ、聖徒と獣に属するものが区別されています。
 

さらに第三の災害(4)では水の源が血になりました。この時、6-7節で、 「彼らは聖徒達や預言者達の血を流しましたが、あなたは彼らに血を飲ませられました。彼らにはそれがふさわしいからです。」と、水が血に変わったのは、聖徒達の血を流した報復で、さばきである事が書いてあります。 

16:における災害は、獣に属した者に及びました。それは単なる自然災害ではなく、神のさばきです。彼らが神に背罪を犯し続けてきたからです。神は義なる方です。神は愛ですが、神の義という事を忘れてはいけません。
 

神の義は、正しく、正義を愛し、不義を憎みます。天からすべての人を見ていらっしゃり、罪は裁かれます。詩篇11:6には、「 主は悪者どもの上に網を下す。火と硫黄燃える風が彼らへの杯。」と記されています。
 

神は寛容と忍耐を働かせて、人々の不信仰に対して、厳しいさばきを行う事をとどめています。しかしいつまでもではありません。神に背き、神と聖とに反抗して、正しい者を苦しめているなら、神の怒りは彼らの上に及びます。16章に出てくる災害、そこには人の力では止める事が出来ない、厳しさがありますし、それは単なる自然災害でなく、義なる神のさばきです。
 

神は義なる神で、罪を裁きなさる方です。けれども罪にとどまり続けている人に対して、最後の最後まで、彼らが気付いて悔い改め、罪を離れ、神に帰るのを待ち続けています。この時も、神は彼らが悔い改めて、神に帰るのを待っていました。しかし人々は心をかたくなにし、悔い改めて神に帰る事をしませんでした。それほど人間の心はかたくななのです。
 

小林和夫師が「頑固とは、自分を中心とした自己中心の殻の中に閉じこもってしまう事を云うのです。人の言う事を聞かない、人を批判する、そして利己的で、自分の殻の中に堅く閉じこもってしまう、それを頑固というのです。」と言っています。頑固であるならば幸いな人生を生きる事が出来ません。悔い改めの機会を失い、そして永遠のさばきから救われる機会を失います。
 

イザヤ57:15 に「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。」と書いてあります。神の前にへりくだりましょう。
 

神の義は罪人をさばく事に現れているだけでなく、罪人を赦し義とする事に現れています。神は御子イエス・キリストを十字架につけ、罪の贖いを成し遂げました。ロマ3:25 -26に。「神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。・・・すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。」と記されています。神の義をどのようにして表わされたかと言うと、罪人を赦すために、キリストが十字架にかかること、そしてキリストを信じるものを義とする事によって、神は神の義を表されました。
 

私達はみな罪人です。頑固になって、自分が正しいと言って言い張る事によって、正しいとされ、幸いな人生を過ごす事が出来るのでなく、神の前にへりくだり、悔い改め、そして私のために十字架にかかって下さったイエス・キリストを信じる事によって、神から義とされ、そして幸いな人生の過ごし、そして将来に輝かしい希望を持つことが出来るのです。


【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

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