「大淫婦の審判」


牧師 新澤昭彦師

聖書箇所 rev17:1-18


 

ヨハネは象徴的な表現を多く使って将来起こる事を書いています。それが何を指しているのか、注解書に目を通しますと、いろいろの解釈があります。神学的立場の違いから、解釈が違い、そして、意味が変わってきます。 

17章では大淫婦が登場します。大淫婦は獣に乗っています。9-11節に、記されている七つの頭とは、七人の王達のことで、ある学者は、5人の王はイスラエルの敵、エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシャであり、今いきているのは、ローマで、まだ来ていないのは、ビザンチン帝国だ。そして第8のものは、反キリストと説明しています。またある学者は、歴代のローマ皇帝にあてはめ、5人の王は、アウグストス、テベリウス、カリグラ、クラウデウス、ネロ、そして6番目は、ベスパシアヌス、まだ来ていないのは、テトウス、8番目のものは、ドミチアヌスと説明します。反キリスト、あるいはネロという学者もいます。さらには、これらの王は、患難時代に出現し、神を御座から引き下ろそうとする全体主義や共産主義やイスラム主義なども含めて、次々と現れる勢力の事であろうと言います。調べれば、調べるほど諸説が出てきて、どの解釈に立ったらよいのか、混乱します。
 

しかし、私達が立っているのは、キリストを信じる信仰です。キリストは私達を救うために十字架にかかり甦りました。私達はキリストを信じ、罪が赦され、そして神との和解が与えられて、神と共に歩んでいます。その信仰と確信は揺るぐ事がありません。聖書を学び、迷路に行き詰まる事があるかもしれません。その時、無理に分かろうとしないで、神様にお委ねし、分かるまで待つ、そしてキリストを信じる信仰に立ち続ける事が大切です。黙示録を理解するために天からの知恵が必要です(9節)。今は分からないかもしれない、けれども信仰に成長し、天から知恵が与えられて、分からなかった事が分かる時が来るでしょう。それまで、無理な解釈をするのでなく、神様に委ねる事が大切です。

 

1節に、「大淫婦に対するさばきを見せましょう。」と書いてあります。17-18章に記されている内容は、大淫婦の審判です。
 

2節に「 地の王たちは、この女と淫らなことを行い、地に住む人々は、この女の淫行のぶどう酒に酔いました。」と記されています。淫らな事とは、性的乱れではなく、偶像礼拝を意味しています。まことの神に変えて、偶像を拝む事、また世の富に心が奪われて、神ではなく欲望によって心を満たそうとしている行為です。大淫婦がいる場所は、1節に「大水の上に座している大淫婦」とあります。水について、15節では、「あなたが見た水、淫婦が座しているところは、もろもろの民族、群衆、国民、言語です。」と記されています。世界中の人々の上に立ち、そして地の王達、地に住む人々が、大印婦によって、淫らな事を行っています。神を離れ、欲望に生きています。
 

この時代には真実なクリスチャンはいません。教会はあるかもしれません。それは命の書に名の記されている人々の集まりではなく。世の富、成功、世的繁栄を求める人々の集まりです。大淫婦は「緋色の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものと、自らの淫行の汚れで満ちた金の杯を手に持ってい」ます(4 節)。この女は獣に乗っています。もし女が宗教家としますと、獣と結託し、政治と結びつき、権力を身に着け、自分の立場を利用して、経済活動をしています。世界の富を集めて、豪華な生き方をしています。きよく生きるはずの彼らが、ここまで堕落をしています。
 

そればかりかヨハネは「私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見(6節)」て、非常に驚きました。」ヨハネは、大淫婦を見て驚きました。この女は世界に平和を呼びかけていながら、イエスの証人達を苦しめ、彼らが害を受けるために画策し、そして彼らが傷つけられ殉教している姿を見て喜んでいる姿を見たからです。
 

同盟関係にあった、獣と大淫婦は反目するようになり、大淫婦は獣から憎まれます。そして悲惨な目に合わされます。(16節)
大淫婦は審判に会い、滅ぼされます。(18章)

 

ヨハネが島流しになった時の皇帝は、ドミチアヌスでした。彼は歴代の皇帝の中でも、最もクリスチャンを迫害した皇帝です。ヨハネが実際に見ていたのは、ローマの歴代の皇帝でした。その先の事はヨハネには見えていません。しかしキリストの黙示としてヨハネが見た事、そして描いた事は、先の終末にかかわる事です。ヨハネが見ているのは、ローマ時代のこと、しかし彼が書いたのは、終末の事でした。彼には、今の事と、2000年後のこと、また永遠の事が一つの絵となって見えていたのです。
 

調布から富士山を見ますと、その途中に、丹沢の山々が見えます。丹沢の山々と富士山は一枚の絵に見えます。しかし丹沢の山と富士山では、距離が離れています。また富士山の手前には、大洞山、三国山がありますが、隠れて見えません。調布から富士山を見るように、ヨハネは、パトモス島から神の国の幻まで見ています。ヨハネには一つに見えますし、また神の国の実現するまでに、隠れて、見えない事もあります。ある学者が言うように、ヨハネは、ローマの皇帝を見ています。しかし、黙示で示されている事は、将来のキリストの地上再臨とキリストが王となって、世界を納める事、そして神の国の実現でした。そして、その事がおこる前の、患難時代の出来事をヨハネは書いています。
 17-18章の出来事が起こるのは、患難時代です。その時私達はいません。獣も、大淫婦も会う事はありません。しかし終末が近づいてきます時に、獣や、大淫婦、そして、天体と地球に起こる異変が、影のように、今までこんな事はなかった、何か変だという出来事が世界に起こるでしょう。その混乱は、人々を不安にし、動揺します。
 イエス・キリストは十字架にかかり私達を贖って下さいました。神は私達の名を読んで下さり、私達は神の民、神のものです。社会に起きている事を見て、動揺したり、混乱するのでなく、永遠の希望を与えて下さった神に信頼し、信仰の土台の上にしっかり立って行きましょう。

【公式】西調布キリスト教会

この教会は、メソジスト系の聖書信仰に基づくプロテスタントの教会です。 聖書から、神の愛のメッセージが語られています。 東京都調布市上石原2-26-13( 京王線西調布駅より徒歩3分) ☎042-485-1351

0コメント

  • 1000 / 1000